「ご存じでしょうか? ウランバートルのオペラ劇場は第2次世界大戦直後、ソ連軍が『シベリア抑留者』として、日本兵に強制的に労働をさせて建てさせた建物なのです」

初めて聞く話に、胸が締め付けられました。

「酷寒の中で日本へ帰還できる日を夢見て、苦労して造った建物なのです。着物ショーをやるなら、きっと亡くなった多くの抑留兵たちがお喜びになるはずです」

三等書記官の方は、初めて会う私にこう提案してくださいました。そして、私の気持ちに迷いはありませんでした。

戦後、家族とも会えず、日本を離れたシベリアの地で一生懸命に任務を全うし、苦難の中で完成したこの建物が、日本の魂そのもののように見えました。

それから入念な準備を重ね、日本で購入した和太鼓をモンゴルに寄贈、モンゴル国立オペラ劇場で『日本モンゴル文化交流温故知新ファッションショー』を開催。そして、テーマに『シベリア抑留日本兵の鎮魂』を加えました。

さらにその翌年には、オペラ劇場同様に、シベリア抑留日本兵が造ったチンギスハーン広場で盆踊りを実行する計画を立てました。故人を供養する盆踊りをするために、日本の高校生の和太鼓部10名を連れて、オペラ劇場に戻ってきたのです。

日本から100枚もの浴衣や帯、草履も送って、現地の学生100名に浴衣の着方と盆踊りを教えました。

当日、巨大なチンギスハーンの銅像が鎮座している広場のオペラ劇場入り口が見える位置に太鼓のやぐらを組んで、浴衣を着た100人の学生が山車だしに載せた太鼓を引っ張ります。

私はホイッスルを吹きながら、「わっしょい!」「わっしょい!」の声で学生たちを促して、櫓の周りに学生たちの踊りの輪をつくりました。

チンギスハーン広場に響き渡る盆踊りの音楽と、日本の高校生による太鼓の音。すると、白夜の青空を突然に雲が覆い始め、それまで太陽が照りつけていた空が日本の夕暮れのようになりました。

そこに風が吹き、踊り手のたもとが揺れ始めました。日本への帰還を夢見ていた抑留日本兵に見てもらいたいと、その一心で踊り続けました。

現地の学生100人と日本から来た和太鼓部の高校生で、チンギスハーン広場は、まるで日本のようでした。盆踊りを終えると、現地の報道の方が近寄ってきました。

「皆さんが踊っていた頭上の雲の合間から、数羽の真っ白い鳩が突然に飛んでいきましたね」

と、興奮気味に私に教えてくれました。

白い鳩は、帰還できなかった人たちだと思いました。

大使館で抑留日本兵の話を聞いた時から、彼らを鎮魂したいと思い続けていた私には、白い鳩は彼らの喜びの印だったのではないかと思えたのでした。

 
 
※本記事は、2020年12月刊行の書籍『きょうは着物にウエスタンブーツ履いて』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。