時節の流れは早く、もう七月末となっていた。夏休みに入ったばかりの、蒸し暑い晩であった。朝晩は、涼やかな風が吹くときもあったが、日中の猛暑は、異常であった。その日めずらしく三人で話し合うことになった。

僕は一週間前に大塚夫人から彩さんの将来のことで相談を受けていた。彩さんがこのまま中途半端な生活を続けていても将来の展望は開けない。本人も八方塞がりで息苦しい生活を強いられているみたいだ。

そして話し合いの結果、シドニーに語学留学したらどうかという結論に至った。九月からシドニーの高校に語学留学し、将来は市内のどこかの大学に進学することに決めた。

だから、夏休み中は、毎日、英語の特訓をすることにした。彩さんには辛かっただろうけど、なるべく日本語は使わず、英語で会話するようにした。

外国留学を決意したもう一つの契機は父親の転勤だった。

彩さんの父親は九月から、住永商事ドイツ支社があるデュッセルドルフ市に転勤となることが決まった。転勤というより左遷(させん)に近い転勤だった。

父親は、愛人問題が発覚し、いろいろ不祥事もあったので転勤というより、左遷(させん)されたと言っても過言ではない。彼は、英語も含め語学が不得手(ふえて)だからドイツ語にも苦労することは瞭然だ。

家族を(ないがし)ろにしていた父親にとって、ドイツ支社への左遷は、天罰みたいなものだ。もちろんドイツに行けば、愛人と別れなければならない。

また、英語すら、からしき駄目な父親が、ドイツ語に苦労することは、火を見るより明らかだ。

一方、登校拒否を繰り返してきた彩さんにとってオーストラリアへの語学留学は、一つの大きな選択かもしれない。

シドニーを選んだ理由は、異母姉妹たちの影響が大きい。彼女たちは、ひと月ほどシドニーでホームステイしたが、大変快適だったらしい。ホストファミリーも優しい人たちで、親戚みたいな間柄になっていた。冬休み(オーストラリアでは夏休み)には、日本に来るらしい。

そういうことが彩さんのシドニーへの語学留学に影響を与えたようだ。そうなると、大塚夫人も日本にいる必要がない。

そこで、いまの自宅は他人に貸して、シドニー市内にコンドミニアムを借りて住もうと考えていた。

そうすれば、母子(ははこ)水入らずの生活をすることができる。