白猿の湯は、町の湯に比べ広々としており、客も少ない。湯治客は、町の湯を利用するようだ。次男と露天風呂に浸かる。仕事納めで、職場では同僚たちがバタバタしている日に、のんびりと湯に浸かる罪悪感が、心地良さを倍増させることを発見する。

日頃会話が少ない次男とポツリポツリとだが会話が進む。次男の大学でのクラブ活動のこと、大学卒業後の進路のこと、僕の仕事のこと、はては長男の彼女のことまで。

幼少時、次男は病気がちで、丈夫に育ってくれるのかと心配であった。今では、僕よりも一回り大きく、壮健な青年に育っている。ありがたい。

ふいに、太宰治の「桜桃」の一節を思い出す。

「ああ、ただ単に、発育がおくれているというだけの事であってくれたら! この長男が、いまに急に成長し、父母の心配を憤り嘲笑するようになってくれたら! 夫婦は親戚にも友人にも誰にも告げず、ひそかに心でそれを念じながら、表面は何も気にしていないみたいに、長男をからかって笑っている」

子供の発育の不安に押し潰されそうになりながら、血を吐く思いで紡いだ文章だ。大学時代にこの作品を読んで、胸に刺さるものがあり、ずっと忘れずにいたが、親になってみれば、いっそう身につまされる。

今、次男に僕や女房がどんなに心配して育てたかを聞かせたところで分からないだろう。次男が子供を持つまでは。僕もそうだったのだから。

帰りの車中。半日とごく短い湯治であったが、身体はホカホカ。車内の暖房も切った。長袖Tシャツ一枚になる。左膝の調子も良い。

女房に「湯に浸かると学生時代の肉体が戻ってくるのを感じた」と話す。

「学生気分はいまだに抜けてないのにね」

と湯冷めするような返しがあった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『サラリーマン漫遊記 センチメートル・ジャーニー』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。