実は、ラーメンは美味しくなくて、今では注文をする客がいなくなった。僕と次男の注文が、実に久しぶりのことなので、厨房では、

「エーッ! 今さら、ラーメンか。非常識な客が来たよ。どのように作るのだったっけ? どうしよう。お母さーん!」

とパニックになっていると推理した。ようやく、ラーメンが登場。麺を一口啜る。推理の正しさを確認。期待を大きく裏切っている。地鶏の滋味が行方不明に。捜索願が必要。次男も渋々食べている。

お詫びの印に、ラーメンの具の唐揚げを次男の丼に移してあげる。この味では、全部を食べきれない。いつもは僕の嫌いな食材は女房が引き取って食べてくれるのだが、

「大盛にするべきではなかった」

との小言を頂き、拒否された。結局、半分以上を残してしまった。

食後、温泉街を散策する。車一台がぎりぎり通ることができる道が街の中心を貫いている。道の両側に旅館が並び、道から細い路地が毛細血管のように伸びている。路地を歩くとひょっこり旅館が現れたりする。

ここの旅館は湯治客を対象にしているだけに地味である。ほとんどが木造の昭和レトロ感溢れる二階建ての建物だ。なかには三階建ての大きな建物もある。

人通りがほとんどなく、町全体がひっそりと息を潜めているようだ。歩きながら旅館の玄関をチラリと覗いてみるが人影がない。営業しているのかどうか分からない旅館が何軒かある。閉店となった店が散見される。

そんな土産物屋の看板は「三猿まんぢう」の文字が、かろうじて読み取れる。「まんぢう」。いいなぁ。昭和生まれの琴線に触れる。

また、かつての食堂の引き戸は、地面に対して八十度の角度で傾いている。どんな料理を出していたのだろう。食べてみたかった。この街は、時代の流れの淵に沈殿している。

今年、元号が平成から令和に改まった。でも、この街は、令和元年ではなく、昭和九十四年が進行している。だから、初めて訪れる街ではあるが、昭和生まれの僕にとっては郷愁を感じるのだ。

散策も終わり、白猿の湯へ戻る。俵山温泉で、内湯がある旅館は、一軒あったが今は閉館している。湯治客は、町の湯と白猿の湯を利用することになる。

白猿の湯について、次の故事がある。

約千百年前のこと、地元の猟師が水溜りで傷を洗っている白猿を見つけ、矢を放ったところ、白猿が消えて、たちまち薬師如来が現れた。白猿は薬師如来の化身であり、水溜りは温泉であった。