宗像はコジモにもらった、例のフェラーラの家族写真を取り出して説明を始めた。

「この左側に立っている大男がピエトロ・フェラーラだ。ここを良く見ろ。キャンバスの中央に筆を載せてポーズを取っている男の手、ほら右手だぞ。やはり彼は右利きだよ」

「ほほう、これがフェラーラか。なるほど右手で筆を持っている。細身だがかなりの大男だな」

心地がまじまじと写真を見ながら喋ると、モーニントン女史が頃合を見計らって言った。

「宗像さん、私もこのパレットを手にして左利きのものとすぐ分かりました。確かにヨーロッパでも左利きの画家の比率はそれほど高くありません。そこで鑑定室で絵の方も調べてもらいましたの。一般論ですが、その絵を左手で描いたか右手で描いたかは概ね判別できるそうです。

例えば、右利きの画家の絵に、通常引かない線、正確に言えば引きにくい線が表れることはまずないそうで、反対も同様です。でも百パーセントの断定は困難で、八、九十パーセントの確率だそうです。プロの絵描きでも、左右とも同じ巧みさで絵を描ける人は稀だそうです。やはり、利き手といいますか、得意な方の手というのが決まってしまうようですから」

「完全な両手遣いなどはいない?」

「そのようです。ですからナショナル・ギャラリーが所有するフェラーラの絵についてですが、今回特別に鑑定を済ませましたの。その結果、九十パーセント以上左利きの画家が描いたものであると判断されたのです。

しかしこの絵の判定には大変苦労したようです。どうしてかと言いますと、完成間近になって、絵に特殊なテクニックの引っ掻き痕が施されたからです。これによって絵に残された筆跡は不鮮明になってしまいましたから。でも幸いと言いますか、この痕は全面に施されていませんでしたので判断することができたのです。

余談になりますが、レオナルド・ダ・ヴィンチのことです。この画家は左利きと言われているのですが、非常に特殊な描き方をしていますので、筆跡では簡単に判定できないそうです。ダ・ヴィンチの絵には筆の跡がほとんどないものがあるのです。これはスフマート技法と呼ばれています。

絵の具を胡桃油などで普通よりやや薄く溶き、絵の具をつけた筆で小さい丸を描くようにキャンバスに擦り付けながら、何度も重ね合わせていく手法です。それで方向性が分からなくなって。でも、ダ・ヴィンチの場合はこの技法そのものが特徴の一つになりますけれど」

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。