「克彦へ

ようやく暑さも過ぎ、九月に入ったら朝晩気持ちのよい日が続いているが、お前の方はどうかね。甲府盆地は葡萄の時期に入る頃だと思うけど、元気で過ごしているか。

康男から聞いた話では四月から病院で勉強を始めたとのこと。五月には知っていたんだが、手紙が遅くなってしまった。私も康男も頑張るから、お金のことは心配しないで将来自活できるよう励んでほしい。お世話になっている先生には挨拶もできず申し訳ないとも感じている。話す機会があったら『父からよろしくと言っていました』と伝えてほしい。

青海の叔母さんにはあまり我儘を言わないように。時機を見てそちらの方に行ってみよう
と思っている。

少しずつ寒い季節に移っていくが風邪などひかぬよう、肺炎を繰り返すことがないよう細心の注意を払ってほしい。また会えることを楽しみにしている。

父より 九月十一日」


研修を始めて一年後、患者さんの検査や治療・訓練を行っているところに入って見学をさせてもらうことが週一回ほどできるようになってきた。

言葉が思うように話せない人、相手の話すことが理解できない人、べらべら喋るけれども何を話しているのか全く分からない人、口から涎を流しはっきりしない言葉の人、家族や仕事の話をするとすぐ泣いてしまう人などなど見させてもらった。

治療・訓練する側と受ける側の緊張が、二メートルに満たない切迫感で伝わってきた。

帰ってから、言語治療士がどのようなことを行ったか、患者さんの反応はどうであったか、見ていて何を感じたかなどをまとめるように課題が出された。

自助具を使って書くために四百字に一時間半以上要した。ところが次の日、原稿を持っていきスタッフに配る分を印刷したが文字が出てこない。聞いてみると青い文字のボールペンでは印刷されないことが分かり、必死に取り組んだ昨夜の作業はなんだったのかと力が抜けてしまった。

そんなあるとき、津久田先生の部屋に来るように言われた。

「随分きつそうに車椅子を押しているけれど、電動車椅子に変えてみたらどうですか。関口先生に聞いたら購入時に補助金は出るよと言っていたんだけどね」

「はい、ありがとうございます。でも運動にもなりますし、このまま手動の車椅子を使おうかと考えています」

「院内や廊下の移動にかなり時間がかかっているから、思い切って変えてみたら」

一瞬のためらいの後、返答した。

「今のままでこれに乗っていようと思います」

初めて製品として仕上がった自分用の手押し車椅子を見たとき、周りの人は喜んでくれたが内心は「とうとうこんな物に乗らなければならなくなったのか」と車椅子を見ることすら嫌であった。

ましてや電動車椅子など、どんなことがあっても乗りたくないとの気持ちを持ち続けていた。たとえどんな体になろうとも、少しでも、ほんの少しでも健康な人に近づきたいとの願望は持ち続けていた。

腕力の弱い障碍者が車椅子を押す姿を見て、先生が自分のためを思って言ってくれた言葉は十分に理解できたが譲れなかった。
 

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『季節の向こうに未知が見える』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。