一つのハードルをクリアして安心したのか、Jさんは幾分元気になりました。トイレまでは自分で歩き、リハビリテーションは患部の存在する下肢の筋肉トレーニングを開始しました。

どうしてもやりすぎる傾向のあるJさんの気持ちを抑えながらのリハビリテーションです。ここでもスタッフのアンテナが反応しました。娘さんに筋肉トレーニングの介助をしてもらうことを思いつき、Jさんに提案してみたのです。

即座にJさんから満面の笑顔がこぼれました。それ以後もリハビリテーション中の会話は弾みました。患側ではない右下肢のストレッチ時には、介護者のストレッチのタイミングとJさんの力の入れ具合をJさんに指導しながら、ストレッチを進めました。アスリートであるJさんはこれも大喜び……。

次第に自分からやってほしいリハビリテーションを提案するようになり、前向きなリハビリテーションが可能になっていきました。気分が良いときには娘さんの京都土産の飴を味わったこともあったようです。

苦悩の末に見えてきたもの

しかし現実は厳しく、Jさんの病状は日々悪化していきました。PCAの持続注入量もレスキュー量も次第に増加し、不意にむせたりしたときにJさんは動揺して、過換気を起こすこともありました。

5月20日ころからは覚醒はしているものの閉眼していることが多くなり、傾眠傾向となりました。その一方で、Jさんの言動には少し諦観したような様子が現れ、スポーツドリンクを300ミリリットルほど一気に飲んで(すぐ胃管から排液されるのですが)「幸せだなー」などと言うようになりました。

リハビリテーション中に空想の中で遠方まで走ったり、学校から帰宅した息子さんに「お母さんを頼むよ……」と言いながらハグしたり……。5月22日には懇意の写真館が5月24日に出張撮影に来てくれることになったと、奥さんが教えてくれました。

主治医に家族への手紙づくりを勧められていたJさんは、家族写真の裏に「大好き」と指先で直接書こうと考えていたようです。このことを知ったリハビリテーションスタッフはおせっかいかな? とも考えながら、恐る恐る自分のウエディングドレスをJさん宅に持参しました。

それに娘さんは大喜びしました。母親に止められながらも少し羽織ってみました。ウトウトしていたJさんはそれに気づき、ドレス姿の娘さんから視線を外さなかったそうです。

あと一日

しかし、運命は何ともドラマチックな最期を用意していました。撮影予定日の前日、5月23日の早朝、急にJさんの呼吸状態が悪化したのです。もう少し頑張れば……。

あと1日を待てず、Jさんは家族に見守られて走り抜けるように旅立ちました。奥さん、娘さん、息子さんは終始そんな父親を見ており、家族にバトンタッチするような最期でした。

死亡診断の後、主治医はJさんの髭を剃りました。写真撮影の前に男同士として髭剃りを約束していたのです。リハビリテーションスタッフは写真の裏に「大好き」と書くはずであったカラーペイントで家族四人の足型を取りました。

Jさんを含めて四人が走っているみたいに……。

Jさん、娘さん、息子さんの足型がそっくりだったので和やかな時間が流れました。その四人分の足型を取った画用紙はJさんのトライアスロンやマラソンの記録を飾ってあるスペースに置かれているそうです。

自分を映す他者という鏡

人が不治の病になったとき、最期まで「自分らしく」生きたい、最期は「自分らしく」死にたいというふうに、よく「自分らしく」という言葉が用いられます。では、この「自分」とはいったい何者なのでしょうか? 

今、ここに実存している「自分」とは何なのか。私は一時期、比較的長い時間をかけて考えてみたことがあります。しかし、サラサラの砂が握った瞬間から掌をすり抜けてこぼれ落ちるように、考えれば考えるほど「自分」というものの実体は居なくなってしまいました。

そして結局1冊の本に行き当たりました。『じぶん・この不思議な存在』(鷲田清一・著*1)です。

鷲田氏はこの本の中で、

「〈わたしはだれ?〉という問いに答えはないということだ。とりわけ、その問いを自分の内部に向け、そこになにかじぶんだけに固有なものをもとめる場合には。そんなものはどこにもない。じぶんが所有しているものとしてのじぶんの属性のうちにではなくて、だれかある他者にとっての他者のひとりでありえているという、そのありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を見いだすことができるだけだ。」

と書いています。すなわち「自分」という絶対的なものはなく、他者という鏡に映った「自分」しか知ることはできないというのです。もしそうならば他者の数だけ「自分」があってよいはずです。この考えは私にとっては非常に共感するものでした。

同僚に対しての自分、友人に対しての自分、妻に対しての自分、息子に対しての自分、すべて異なる「自分」ですが、そのどれもが紛れもなく「自分」の実体でもあるのです。

Jさんが自分も参加する形のリハビリテーションを大変喜んだのは、スタッフが鏡となり、アスリートとしてのJさんをJさん自身が自覚できたからこそ喜んだのだと思います。

娘さんの筋肉トレーニング介助の提案でJさんに満面の笑みが出たのは、娘さんが自分のリハビリテーションに参加することで、娘さんが鏡となり父親である自分を強く自覚できたからうれしかったのです。

この家族が全員の写真を撮りたいと強く望んだのは、集合して一枚の写真に収まることでそれぞれがそれぞれの鏡になって、家族である自分たちを確認したかったのです。

Jさんの死後、家族四人の足型を取ったのも、家族それぞれが「自分」を確認したかったからだと思います。身体は消滅してしまってもJさんの足型はこれからも家族それぞれの鏡になり、残された家族は「自分」をその鏡の中に見出すことができます。

緩和ケアの対象となる患者さんたちは、「自分」がわからなくなってしまう状況に置かれていると考えられます。そういう状況にあっていかに上手に鏡となるか、あるいは鏡をいかにセットアップして、患者さん本来の「自分」を発見してもらうか、こういうことも緩和ケアの大きなテーマであるように思います。

*1:『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)、鷲田清一、講談社、一九九六年

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『生きること 終うこと 寄り添うこと』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。