「五歳だよ。普通の」

「変わった子ね」

ふん、と小さく鼻を鳴らした喜美恵は、肩をすくめてその場を離れようとした。

「まだ話は終わってないよ」

「もう十分聞かされたわ」

「で、返事は?」

優輝の強い口調に、後ろ姿になった喜美恵の足が止まった。

「わかったって言ってくれないなら、僕も意に反したことやらなきゃね。したくないんだけど」

「なによそれ」

喜美恵は振り向き、いぶかしげにまた眼鏡の角度を直した。

「海斗に、おばさんがやったのと同じことをするっていう意味」

海斗の母親の口が大きく開いて止まった。

「簡単だよ。おばさんの真似をすればいいんだから。話題はいくらでもある。あいつ、気が小さいから、もう幼稚園行きたくないってだだこねるだろうな」

「なんですって」

喜美恵の頬が熱を帯びてきた。

「海斗のトラウマになるかもしれないね」

「あんた、そんなことしたら孤立するわよ。他の子が黙ってると思う?」

「孤立するとしたら海斗だって。他の奴らはみんな、僕の言うことなら聞くよ。それだけの付き合いはしてきてるからね。別に信じなくてもいいけど」

優輝は自然体で微笑んでいる。それが喜美恵には、逆に気味悪く感じられた。なんなの、この子は。普通の幼稚園児じゃ使えない言葉がぽんぽん出てくるじゃない。それに、人よりよく喋る私がなんで聞き役に回ってるのよ。押されてるじゃないの。腹に怒りが溜まってくると同時に、これはやばいかも、というざわつきを無視できなくなってきた。

私は戸畑喜美恵だ。相手が誰であろうと、人を判断する能力なら並の上を凌ぐ。それが今の社会的地位に直結していることは、誰よりも自分が認めているつもりだ。

納得はいかないが……。

「わかったわ。とりあえずはあんたの顔立てて様子を見る。でも、目に余る言動があったら、親子共々けじめはつけてもらうからね。私がどの程度発言力持ってるか、あんたのことだからわかってるわよね」

「ありがとうございます。十分に承知してますよ。その上で相談に乗ってもらったんだから」

「何が相談よ。りっぱな脅しじゃない。子供のくせに」

言い捨てた喜美恵は、さっと背中を向けた。小山で遊んでいる海斗に近づきながら、今のは何だったんだろうと考えていた。煽られて興奮した挙句とはいえ、対等に言い争っていたとはなんたる屈辱であろうか。たかが五歳のガキを相手に。しかも、何度もおばさんと呼びやがって。あーうっとうしい。あのガキに言われると、小学生にクソババアと言われるより腹立つわ。

あ、ママ。と走り寄ってくる我が子が、いつもより小さくて頼りなく見える。いかん、と周囲を見渡しても、年長組の園児でさえ、今のやりとりの後ではひ弱に見えてしまう。

行くよ! と海斗の手を掴んだ喜美恵は、海斗が小走りになるほど足早に正門へ向かっていることには、自分では気づいていなかった。
 

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『小節は6月から始まる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。