踊る大紐育

一九四九年五月末から九月初めにかけてボストンの病院で薬物依存の治療を受けたジュディ・ガーランドは、いくぶん健康を取り戻したものの本調子とは言えず、体重もかなり増えていた。衣装デザインを担当したウォルター・プランケットによると、

「我々は彼女ができるだけやせて見えるように努力したが、奇跡を起こせるわけもなく、上手くいかなかった」

十月からリハーサルや歌の録音、衣装合わせなどが始まったが、案の定ガーランドが姿を見せないことが増え、十一月に撮影が始まっても同様の状態が続いた。撮影開始後二~三週間でパスターナクは製作の中止を決心した。

「遅延によって何千ドルも費用がかさんでいた。続行しても無駄になるだけだった。当然のことだが我々はジュディを助けようと全力を尽くした。でもダメだった。メイヤーには損失を食い止めてサマー・ストックのことは忘れるように進言したんだ。歓迎されると思ったよ。でも驚いたことに彼はノーと言ったんだ。

彼はこう言った。

“ジュディ・ガーランドは元気な頃にはスタジオのためにたくさんの金を稼いでくれた。我々にできるせめてものことは、あの子にもう一度だけチャンスをやることだ。今製作を止めたら、彼女は終わりだ” 

われわれ皆は深くため息をついて、それから仕事に戻ったんだ」

ジーンもパスターナクを説得してこう言った。

「あの娘のためなら何でもするよ、ジョー。もしここに座って一年待てと言われれば、彼女のためにそうするつもりだ」

撮影現場にガーランドが現れなくともジーンは一言も愚痴を言わなかった。空いた時間を過ごすため、バスケットボールのチームを二つ作りリハーサル室で試合をしたり、自身の担当するナンバーの振付けを考えた。「サマー・ストック」を代表するナンバーの一つ“ユー・ワンダフル・ユー”の振付けは、このような時間に作り上げられた。