今日の予定はこのあと昼食を挟んで、岸壁に波頭が白く砕ける大王崎や夕日の綺麗な登茂山辺りまで足を伸ばそうと計画していたが、思わぬ奈美の反応に取り止めざるを得なくなった。

「御免ね、飛んだ気晴らしになってしまって」

帰りの車の中で美紀は外に連れ出したことを謝った。助手席に座っている奈美は黙って小さく首を横に振っただけだった。美紀は運転をしながらいろいろと考えた。若いカップルの喧嘩が奈美の反応を誘ったことには間違いない。

しかし、どうしてあんな反応になったのだろう。

美紀はそう思ったが反応がぶり返すことを恐れて奈美に問い質すことはできなかった。外に出るにはまだ早かったか。そんな後悔とともに美紀は奈美の心の傷がまだまだ癒えてはいないことに憐れさを感じた。

港町の漁火に戻ると安心したかのように奈美は落ち着きを取り戻し顔色も戻った。それでも美紀は大事を取って奈美を二階で休ませた。

奈美との外出が中止になり、美紀は自分も二階でごろ寝をしようかと思ったが、天気がよいことから気を取り直し、店を開けることを決めて入り口のドアに貼っていた「喫茶店臨時休業」の張り紙を外した。喫茶店の店番は美紀一人で行った。

喫茶店が終わり奈美と二人で夕食を済ませ、美紀はスナックの開店準備に取り掛かるといつものように奈美も手伝い始めた。

「今日はいいのよ。店に出なくても」

「いえ、もう大丈夫です。御心配をお掛けしました」

「ほんとに大丈夫なの? もう何とも無いの?」

「はい、大丈夫です」

奈美の状態を心配する美紀の再三の問い掛けにも奈美はすっかり回復したことをアピールするかのように店に出ることを主張した。美紀は、店に出た奈美をいつも以上に気を配って見守ったが、客との語らいやカラオケのデュエットなど接客の様子は昼間の反応が嘘であったかのように普段と変らなかった。それでも美紀は奈美にまだまだ放っては置けない危うさを感じるのだった。

翌日、志摩地方は昨日晴れたことが嘘のように朝からまた雨が降り出した。美紀は早く起きた奈美と二人で朝食を済ますと客足の伸びないのを気にしながら店を開けた。雨は昼中ずーっと降り続いた。しかし、時折遠くで鳴る雷が鬱陶しい梅雨明けが近いことを示していた。
 

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。
※本記事は、2020年11月刊行の書籍『浜椿の咲く町』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。