日本は第二次世界大戦後奇跡的復興を成し遂げ、2度の石油ショックや幾度かの経済危機を乗り越えて成長を続けました。その結果世界第2位の経済大国までに発展し、一時は世界の国々から日本NO1といわれる時代もありました。

それに浮かれたわけではありませんがバブル崩壊後デフレ経済という病魔に冒され、その後もリーマン・ショックや米中貿易摩擦の影響を受けた日本経済は未だ先の見えない状況です。

大学時代(1967年ごろ)に習った経済学では「インフレ」は学びましたが、「デフレ」はあまり講義を受けた記憶がありません。たぶんデフレーションは理論的に考えられても実体経済では、ほとんどありえない経済状況だったからでしょう。

バブル経済崩壊を機に経済構造が転換した要因は、いろいろ考えられます。いまでは死語になりましたが日本は昔から加工貿易国です。

資源のない国ですから海外から資源を調達し、国内で付加価値を高めた製品をつくり、輸出して利益を生み出しています。

低コストと高品質を武器に世界中に電化製品、自動車、精密機器などを輸出していましたが、いまの時代は単純にコスト=人件費ではなく、コストには開発経費、租税、光熱費などの間接経費などが付加されます。

日本はすべてのコストが世界でも有数の高い国になり、他国が真似のできないような高付加価値商品でないと輸出競争力がなくなりました。

そのうえ為替も一時は75円近辺まで円高になり輸出業者にとっては国内での生産は採算面で厳しい状況が続きました。

輸出が厳しい環境だからといってマーケットを内需に求めても、いまの時代は消費者が欲しい「もの」がなく、ほとんどの「もの」が市場にあふれています。

「もの」が豊かな時代に長年の少子化現象が続き、あらゆるマーケットのパイが縮小しています。

日本はバブル崩壊を機に右肩下がりの経済状況が、2012年アベノミクスが始まるまで継続し、その後はアベノミクス効果や東京オリンピックの誘致、インバウンドで、ようやくデフレ経済の出口が見えてきましたが、その矢先に新型コロナウイルス感染症が発生し、世界経済が崩壊の危機に直面しています。

団塊世代として生を受けて七十有余年、常にこの世代はビッグマーケットと言い続けられました。

でもそろそろ終着駅が見えてきた団塊世代の人生ってどうだったのか顧みたいです。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『未来なに彩』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。