当時(確か二〇一〇年頃かと思う)のサラリーマン金融、俗にいうサラ金は定収入がある人には嫌と言うほど貸してくれたのである。

もともと小心者の私は必死に小遣いの範囲でやり繰りしていたが、ある日を境にとうとう小遣いを貰って一週間ですっからかんになってしまった。

私が嵌ったギャンブルというのはパチンコである。

パチンコに嵌ったいきさつはちょっと長い大きな人生の節目であったことなので詳述してみたいと思う。

この時の私の仕事は某金融機関のシステムのメンテナンスとヘルプデスクであった。このシステムのメンテナンス、特にバージョンアップの時は土日祝日、特にお正月、五月の連休等該当の店舗(特にサーバー機がおいてある本店)に出向き業務に差し支えない日を狙って行われるのが常であった。

また、メンテナンス対象のシステムは関東甲信越地区に跨がっていたので一日、もしくは二、三日の出張が伴うときが多かった。大体二、三人のチームを組み、各拠点を回り順次サーバー機のバージョンアップをして回るのである。

当時はまだオンラインでのバージョンアップをする仕組みは一部しかなく基本はまだ人海戦術であった。

今回、私と一緒に出張するのは別の会社から出向してきているAさんである。私より五歳程度若かった。このAさん、人は良いのであるがこのとき完全にパチンコに嵌っていた。

Aさんは、昼食時にも帰宅後もパチンコの生活に明け暮れていたようである。そんなAさんと千葉の房総に二泊三日の出張をすることになった。

それがきっかけで私の本格的なギャンブル生活、ギャンブル依存症の旅が始まることになった。この出張は土日の出張であったので金曜日の夕方現地に向かい、翌日仕事をする段取りである。

翌日(土曜日)のシステムのバージョンアップは予想以上に順調にいき午前中で終わってしまった。つまり、午後は自由な時間ということになる。

一人の出張であれば出張先の映画館や図書館で時間を潰すのであるがたまたまこの同僚にパチンコに誘われたのである。ここで断れば救われていたのに魔が差したように何十年とギャンブルを封印していた箱を開けてしまったのだ。

そろそろ一生懸命生きてきた自分にご褒美を上げてもいいのではないかと甘やかしてしまったということだ。今から思えばそれが運の尽き、蟻地獄の中に足を突っ込んでしまったということである。

それでも、この時あっさり負けて辞めてしまえば良かったのであるが、運命のいたずらは悪い方、悪い方へ導いていった。

なんと千円で八千円位勝ってしまった。まさにビギナーズラック。

地獄の釜の蓋が開いた瞬間であった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『ショー失踪す!』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。