その後

当時(二〇〇五年頃~)の私の在住している市の障害者の受け入れ施設の状況は厳しかった。

授産施設、作業所、親の会が運営しているレストラン。個人がやっているパン工房などがあったが当時、私の住んでいる市ではどこも定員が満杯状態であった。高校卒業後次に行く施設がないのだ。

他の市へ引っ越すか、定員が空くまで待つか、行政が施設を増やすのを待つか、それとも自分で障害者用の作業所などを作るか、選択はそれこそ自身の責任で行う。

妻は悩みに悩んだ末決断した。

行政が動かなければ自分で作ること。この頃になると妻は私に相談するというより結果報告が多かった。相談してもしようがないと思ったのだろう。

実際相談されても市の状況などは妻の方が知っており知人も多く居るので私を当てにする必要が無かったのだろう。もともと半端ないエネルギーを持っていた妻である。

それこそ数度の失敗を繰り返しながらも東奔西走して作業所を創り上げた。妻が施設を作ろうと思った動機は、自分が亡くなったらショーはどうなるのだろうという心配からである。

自分たちの世話をする人がいなくなった後でも生き続けられるような環境を作るという強烈な動機である。作業所のあとグループホームも立ち上げている。

ショーのためという個人的動機がひいては地域の障害者のためになるという一つのモデルにでもなるのではないだろうか。

それはそれで素晴らしいことかと思う。残念ながらこの頃私達夫婦は別れている。重度の障害を持つ家庭、特にずっと世話をしなくてはならない妻にとってはとてつもなく苦労することになる。

仕事に就いてお金を貰うなんてことは考えないまでも、日中帯はどこかに預かってくれる施設があるだけで大助かりなのである。そんな思いもあるので次の施設に行くのは大変重要な問題である。

私は私でこの作業所づくりを側面からサポートしていたのであるが、とある重大な病気を抱えることになる。

その病気とはギャンブル依存症。ギャンブル依存症とはギャンブルが止めたいと思いながらも止められない病気。依存症とは至ってそのようなものだと後の勉強で分かった。

買い物依存、アルコール依存、セックス依存等は代表的な依存症である。

第九章 ギャンブル依存症

ギャンブル依存症の恐ろしいところは家庭の経済どころか家庭そのものを破壊してしまう場合があるということである。

まさに私の家庭がそうであった。依存度が高くなると小遣いでは賄えなくなり借金をするようになる。そうではない人も多いかもしれないが紛れもなく私がそうであった。