今度は左手を同じように開いたり握ったりし、さらに親指の方から一本一本折っていったが、

「全く駄目です」

「そう、両足、両手の指とも動かないんですね。じゃあ手の感覚はどうですか」

「はい、両手とも手首の少し上から痺れてはいるものの触られたり触れたりしても全く分かりません」

「うーん」

署長さんらしき人は困惑したように両手を組んだ。

「いやー困ったなー。見たことがないなー」

と言って立ち上がると、

「ちょっと待っててね、私一人ではどうにもならんから」

隣の部屋へ入っていった。すぐさま電話でどこかへ連絡している様子が窺えた。十数分ほどして戻ってくると、

「とりあえず運転を見させてほしいんだけれども、今週の金曜日の午後は来られますか」

「はい、分かりました」

わずかな期待を残しながら警察署を後にした。

「良かったじゃないか、可能性あるかもよ」

斎藤先生は笑いながら話してくれたが、正直駄目かもしれないと思っていた。何しろ両方の足も手の指も全く動かないし、車椅子から車への移動も一人ではできない。装具も自分でつけることができない。仰向けになっている体を起こすこともできない。横への移動もできない。

こんなできないだらけの体で運転など考える方がおかしいと誰もが思うのではないだろうか。気持ちは少し落ち込んでいた。

金曜の午後、警察署で用意されていた車の中にいた。両手に運転用の装具をつけてもらい、斎藤先生に上半身を抱えてもらい、署の職員の一人に足を抱えて車の中に入れてもらった。座位を整えてもらい運転を始めた。かなり強い緊張感が襲った。

そのせいか出だしからつまずき、走行も極めてゆっくりであった。

「いつもこんなもんですか、これほど遅いと他の車に迷惑がかかりますよ」

「いやー、もっといいはずなんですが。今日はちょっと調子が悪いようです」

「調子が悪いといっても、こんなスピードで運転ができるかな」

不安げでしかも不満げな警察官の声が左耳から入ってきた。同時に不愉快そうな顔が見えるようだった。その後少しずつ慣れてきたせいか、運転のスピードも増し心の落ち着きも取り戻せたように感じられた。

しかし坂道発進や車庫入れ、クランクなどでは思うようにハンドルが回せずのろのろとした動きになってしまった。

「はい、ご苦労さんでした」

終わってから無表情に声をかけられたときには、駄目だったかと運転を振り返りながら思い出していた。

ところが一週間以上経った後、再びハンドルを握れる免許証を手にすることがかなった。面接をしてくれた人も、車の運転に立ち会ってくれた人も、実は同じ人物であったが、それぞれの人に感謝とお礼が言いたかった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『季節の向こうに未知が見える』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。