刑罰でこころの病は治らない

依存症には法律に抵触するものが少なくありません。薬物依存はいうにおよばず、性依存なら風俗やアダルトビデオで欲求を解消しているぶんには誰にも迷惑をかけませんが、痴漢やのぞきや盗撮になると一線を越えます。クレプトマニアが依存する窃盗などは、まさに犯罪そのものです。

こうした行為を繰り返す人たちを「依存症患者」としてケアする仕事をしていると、世の人たちからはこんなふうに言われることがあります。

「お前は医者として犯罪者を“病気”ということにしてかばうのか!?」

「犯罪者は刑務所に入れておけばいいんだ。治療など必要ない!」

まず、私は犯罪行為を〝病気〟を理由に「無罪にせよ」と主張しているわけではありません。一人の精神科医としてそうした行為が繰り返される背景に、依存症というこころの問題があるのだという、医学的な見解を述べているに過ぎません。

また「犯罪者は刑務所に入れておけばいい」に関しては、反論があります。犯罪を行った人を刑務所に入れるのには、ペナルティという意味あいのほか、まっとうに更生させて社会に復帰させるという目的もあるはずです。

しかし、犯罪行為が依存症によるものだった場合、刑務所に入れておく「だけ」ではぜったいに更生しません。たとえば、警察庁の統計資料(※1)によると、平成27年に覚せい剤で検挙された人は1万1022人ですが、そのうち再犯が7147人(64.8%)でした。再犯率は高齢になるほど高くなり、40代で72.2%、50歳以上では83.1%にものぼっています。

彼らは反省していないのでしょうか? 経験からいえば、刑務所を何度も入ったり出たりする者の多くは、本当の意味で反省はしていません。反省するということは、自らのこころの底を見つめなおし、なぜそのような行為にいたってしまったのかを考え、被害者の心情に思いを寄せ、周囲の人たちの信頼を裏切り迷惑をかけてしまったことを悔い、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うことです。

刑務所に入れられた「だけ」で、自力でここまでできる依存症者はまずいません。弁護士から「反省の態度を見せておかないと、罪が重くなるだけだぞ」などとアドバイスされるので、いちおうはしゅんとしたり謝罪をのべることはあるでしょう。それでも、こころは自己中心的な考えに支配されていて、自由になれば「またやりたい」という欲望を抑えきれないのです。

逮捕されたことが周囲に知られれば、多くのものを失います。友人ははなれていき、勤め先は解雇されるかもしれません。家族が口をきいてくれなくなったり、離婚されることもあるでしょう。示談金や罰金で、たくさんのお金も出ていきます。

それによって、自分がしたことの重大さを思い知るかもしれませんが、それも最初の1度か、せいぜい2度まででしょう。3度、4度……と繰り返すうちに、失うものはなくなっていき、どんどん歯止めが利かなくなってしまうのです。

刑務所にいるあいだは、犯罪行為はありません。しかし、現実に彼らをずっと刑務所につなぎとめておくこともできないはずです。所定の刑期を終えれば、彼らはふたたび社会に出てきます。そして、またすぐに同じことを繰り返し、刑務所にまい戻るのです。どれだけ依存するモノや行為から離れていても、それができる状態になると、理性では抑えきれないのが依存症の恐さなのです。

「懲りないやつは何度でも刑務所に入れればいいんだ」と、お思いかもしれません。しかし、受刑者をやしなうコストもばかにならないのです。どこまでを経費に含めるかによっても違ってきますが、受刑者1人を収容するのに月40万円程度のコストがかかっているともいわれます。もちろん、すべて私たちの税金でまかなわれます。

依存症による犯罪の場合、刑務所に入れておくことが更生につながらないこと、税金の負担も少なくないことは、数字のうえからも明らかです。ペナルティは必要ですが、更生のためには「治療」も必要なのではないでしょうか?

※1 平成28年上半期における薬物・銃器情勢(暫定値)警視庁刑事局組織犯罪対策部・薬物銃器対策課

※本記事は、2017年10月刊行の書籍『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。