ウィラットを尋ねて

ウィラットの家のすぐ側には、クリスチャン系の学校と教会が建っていた。

教会の側にある集会所は、コロニアル風の何か由緒ありげな建築物であった。少年時代のウィラットは、この周辺を我が物顔で走り回っていたのだと思う。

少年時代のウィラットは、多分この学校で学び、そして成績は他の誰よりも優秀だったのだろう。だからこそ、県知事の許可を得てチュラロンコーン大学で勉強することが可能となったのだろう。

だからといってウィラットは、決して青白い秀才タイプではなかった。君の集まるところ、常に友達の輪ができ、かつ笑い声が絶えなかった。

しかし、君は大学の仲間に対しては、その素性を明確にしていなかったと思う。

それは、考えに考え抜いた上での判断だったと思う。誰にでも好かれる君の朗らかな性格をみて、多分大学の友人達は、単に田舎出の面白い学生とだけ君を見ていた様に思う。

何不自由なく育ったお坊っちゃんやお嬢様が多い学生たちには、君の生い立ちや、君の複雑な精神構造まで理解できる者は多分いなかったと思う。

某学生の親が所有しているというシーラチャーにある大きな別荘に学生仲間と泊まりに行った際も、君は皆を笑わそうと終始一人でボケをカマしているのが印象的だった。

まるで自らその役を強いているかのように。

そう君と最初に出会ったのは、単位を取ることが極めて困難とされていた某教授の「東南アジア外交関係」ゼミの開講日であったと記憶している。

指定の教室で待っていると生徒も教授も誰も来ない。教室を間違えたかなと思い、教務室で確認してみると、間違いないという。

ややあって、長身のメガネをかけた青年が入って来た。僕を見つけると某教授のゼミかと聞くのでそうだと答えると、やや怪訝けげんそうな顔をしてお前は何者だと聞く。

身分を明らかにすると優しい笑い顔が浮かんだ。暫くして学生が一人二人と集まって来て、学生同士で協議が始められた。どうもゼミは閉講ということらしく、ゼミを開講してもらう為に教授の部屋に押し掛けるということで意見が一致したらしい。