その時の奥山廻りに(そま)人足(にんそく)として参加していたのが権爺である。当時はまだ爺などではなく、権作と呼ばれる壮健な杣人足の(かしら)であった。権作は、人足たちからは一目も二目も置かれている存在であったが、役人たちには極めてとっつきの悪い、無愛想な人物であった。しかし山岳地帯を歩き始めていくらもしないうちに、その辺りの草木に関しては、まだ若輩のおのれなど遠く及ばないほど博識なのに聡順は気が付いた。

熊を撃退する際、足に怪我をして検分山行に付いて行けなくなった権作を、臨時に建ててあった検分小屋で介抱し怪我の手当てなどをしたのが、命を助けてもらった聡順であった。怪我がどうやら癒えて一行と再び合流するまでの十日ばかりが、二人を運命的に近づけた。若い身空でぎこちなくも献身的に介抱する聡順に、その(かたく)な気持ちが動いたのか、権作は次第に心を許すようになり、自分の怪我の手当てに使う薬草の採取方法から、傷の化膿止め、痛みを和らげる奥山にしか生えない薬草などの知識を少しずつ教えてくれるようになった。そしてその後怪我が癒えて本体と合流してから検分が終わるまでの一か月間、かなりな知識を聡順に伝授してくれたのだった。

その後聡順は二度と奥山廻りに参加することはなかったが、権作との交流は欠かさず続いていて、何回か(ひそ)かに奥山に連れて行ってもらったし、何より奥山にしか生えない薬草を採取して届けてくれるのが聡順には大層ありがたかった。

権作が五十を幾つか過ぎ、杣人として重い荷揚げや猟師、木こりの仕事はきつくなりかけた頃、聡順が頼んで小幡家の薬園の手入れを任せるようになった。今は薬園のそばに掘っ立て小屋を建てて、ひっそりと暮らしている。そこには聡順をはじめ息子の聡太朗や、内弟子たちもよく出かけ、手伝い方々権作から薬草の知識を少しずつ教わっている。

百合はすこぶる権爺になついていて、幼い頃から、ここに入りびたりであった。権爺も今ではすっかり好々爺になり、百合を目の中に入れても痛くないほど可愛がっている。

食事が終わると、聡順は珍しく真面目な様子で百合を(かたわ)らに呼んだ。

「百合、ちょっと話がある、ここに来なさい」