Iさん八〇歳、淡々の達人。状態悪化で再入院

自宅療養に移行後、私はIさん宅に通いました。

自宅に帰って一〇日ほどがたったころ、訪問してみるといつもの状況とは違っていました。発汗多量、四肢の冷感が著明で、サチュレーションは80パーセントでした。

気道の吸引をしてもサチュレーションの改善はありません。Iさんの寝ているベッド上やその周囲は飲み物、食べかけのお寿司、ビスケットなどが散乱していました。

「またクリニックに入院しますか?」とIさんに問うと、Iさんは他人事のように淡々とうなずきました。

すぐ救急車で当院の病棟に搬送しました。入院後酸素吸入でサチュレーションは何とか安全域を維持できましたが、血液検査上は炎症反応が著明で、誤嚥性肺炎を疑い抗菌薬投与を開始しました。

しかし、炎症反応以上に肝障害が進行しており、栄養状態も急激に悪化していました。入院二日目、病状が少し落ち着いたIさんのベッドサイドで私はIさんに質問をしました。

「ご自分の体についてどう思っていますか?」

Iさんは、「悪くなっているのは自分でもわかっています」といつものように淡々と答えました。私はうなずき、

「特に肝臓のダメージが大きいようです」

と返しました。Iさんは静かにうなずいただけで何も語りませんでした。その日から疼痛はないものの全身の倦怠感が現れ、医療用麻薬の投与を開始しました。

それから数日で次第にサチュレーションの維持が困難となり、心不全の徴候が出現し、大好きなアイスクリームを少しずつは食べられましたが、入院六日目に旅立たれました。

生ききるための大きな舟

Iさんが亡くなってからの振り返りの中で気づいたことですが、Iさんは終始一貫して淡々と行動していました。

自分の境遇を悲しむでもなく、嘆くでもなく、誰かに怒りをぶつけるでもなく……。

多くのがん患者はいらついてみたり、周囲にわがままを言ってみたりして、満たされない感情を表出することが多いようですが、Iさんにはそういう行動は見られませんでした。

Iさんの性格として、元々わがままな生活をしてきた(娘さんの弁)ので、わがままが目立たなかったのでしょうか?