仕事に邁進し会社を支えた二人の女子社員に感謝。

日航商事の成功に自信を持った私は、片端から全国の通販会社に売込みを行った。そして、三越、髙島屋、東急、阪急などのデパート、テレビショッピング、生協、大手通販会社などと軒並み取引することができた。

最初は釡めしセットで突破口を開いたが、地方の名産品をセットするなど通信販売向きの商品を開発してアイテムを増やしていった。

テレビやラジオショッピングにも力を入れた。当時、通信販売の市場規模は小さく、黎明期であった。市場に出回っていない、つまりスーパーなどでは売っていないオリジナル商品を消費者に届けることを通販会社はコンセプトにしていた。

釡めしはそれにマッチした商材だった。手作りでセットするので大手メーカーが手を出せないニッチ市場で、まさに中小企業が得意とする分野であった。

何しろ上野食品は、他社より圧倒的に早く通販市場に進出したので売上げは倍増。忙しくて人手不足になった。私は通信販売の仕事は商品と情報を一緒に売るので女性に向いていると思い、女子大生を採用した。その中に優秀な女子社員との出会いがあった。彼女は片道一時間半の通勤を三年間一日も休まず通販専門のセールスとして活躍した。私が担当していたデパートや大手の通信販売会社を引き継いで売上げを伸ばしてくれた。

残念ながら入社三年で退社してイギリスに留学し、その後シンガポールに住んで現地の人と結婚した。結婚式には主賓として私たち夫婦を招待してくれた。彼女も私が感謝する一人である。

彼女が辞める少し前に、引き継ぎのため、ある女子事務員に声を掛けた。その社員は明るくて活発で仕事もきちんと行っていた。実は、彼女はシングルマザー。小学生の子どもが二人いて生活は大変だったと思う。

「通信販売のセールスはいろいろな人に会えて勉強になるし面白い仕事だよ。それに成績次第で年収も上がるから、どうかな?」と勧めてみたら、「やってみます。初めてなので教えてください」と、意外と早く返事が来た。わずか一ヶ月での引き継ぎであった。

ところが、この彼女、前の担当者の上をいく猛烈社員に変身するのである。

私は自分の仕事を終えてから、各責任者が提出する日報に目を通すことを日課にしていた。ゴルフの接待後も会社に来ては目を通してアドバイス事項を記述していた。いつも私の記述の方が多く、そのため時間が掛かり、退社は夜十時を過ぎるのが日常であった。会社を引退するまで三十年以上続いた。この経験が後の大学院での修士論文の記述にかなり役立ったと思われる。

得意先を担当する彼女は責任感が強く、仕事も適していたのか、私と同じくらい毎日夜遅くまで仕事をし、なかなか帰らない。「早く帰らないと、私の評判が悪くなるから」と言うと、「親と同居しているから平日は親が子どもを見てくれています」と、むしろ彼女の仕事を応援しているとのことだった。

引き継いでから半年も経たないうちに彼女の成績はぐんぐん伸び、一年後にはセールスの中でダントツの一位になった。一年後に彼女を主任に昇格させ、三年後には課長に任命。もちろん年収も大幅に引き上げ、その成果に報いた。

確か四十歳を過ぎた頃、「息子も大きくなったので親から独立してマンションを購入したい」という相談を受けた。一生懸命仕事をして成果を挙げ、金を貯めた結果、子どもを抱えたシングルマザーがマンションを買ったのである。社長としてこんな嬉しいことはない。
 

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『復活経営 起業して50年 諦めないから今がある』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。