私は絶対に入院はしない!

現代では癌の患者さんは終末期医療をホスピスという専門施設で、おおよそ診療指針がマニュアル化された緩和療法を受けることができます。ところが癌以外の病気の末期患者さんに、いつからどのように緩和医療を始めるかは難しい問題です。個々の経過と社会環境が多様だからです。明確な指針はありません。ホスピスに入るわけにもいきません。当住宅での住まい方は、癌以外の病気の末期の方にも大変お役に立てるのじゃないかと感じたお話を、看護部長の諏訪さんに書いてもらいました。

加藤さん(89歳)は糖尿病を患い、一人暮らしの頃にはインシュリン注射の自己管理をされ、時々来る娘さんやお孫さんたちと適度な距離感を持って生活されていました。マンションでの暮らしは気ままでしたが、骨粗鬆症による腰痛がひどく、外出を気軽に出来ず、寂しさもあったそうです。週2回デイサービスでお友達をつくり、寂しさを紛らせていました。

「美しが丘」への入居のきっかけは、糖尿病のために眼が悪くなり、インシュリンの目盛がわからず自己注射が出来なくなったことでした。一人暮らしの寂しさと注射のわずらわしさがなくなり、新しい友達と楽しく生活できると期待されていました。

しかし、入居直前に自宅で転倒し、胸椎と腰椎を圧迫骨折してしまいました。入院のため4週間入居が延期され、加藤さんは「せっかく決めた私の部屋が無くなってしまうんじゃないか……」と、ずっと心配だったそうです。退院が間近になり、「私本当に入れるのね! 部屋はあるのね! 大丈夫なのね!」と何度も確認されました。

退院して満足気な表情で部屋に入り、窓から中庭を見た時、さらに表情がぱぁっと明るくなりました。「ここから見る眺めがとってもステキ! 見て! 私のためのお庭みたい」と、中庭全体を見渡しながら、「これからいろいろな花が咲いていくのね。ここでの毎日が楽しみだわ」「もう二度と入院なんてしない」「最期までここで暮らすの」と喜ばれたのを思い出します。

毎朝インシュリンの注射のために訪室すると、窓から庭を眺め「右側の屋根のアンテナには烏がいつもとまるの。左側のアンテナには絶対とまらないのよ」と、日々観察していることを教えてくれました。加藤さんは俳句を趣味にしており、細やかな観察力で深みのある句を創り、同人誌に投稿していました。2か月毎にいくつかの候補作の中から厳選し、「今月はこれを出すの」と毎回、嬉しそう。俳句の知識が全くなかった職員にも、「季語」のことや、「この意味はね……」とか、「この表現はここを考えて……」などと説明してくれました。その同人誌にご自身の作品が掲載された時は、とても喜んで話され、作品の中には、美しが丘住宅での出来事を詠んだものが多く、ここの生活をとても楽しまれていることが伝わって来ました。

たとえば、菖蒲園まで外出した際の一句。

『晴れた空 白黄色の しょうぶ園』

「紫の菖蒲が多い中、黄色と白が混じった花がとても印象的で、目が釘付けになったの」

また、加藤さんの居室の窓からまっすぐ見える白とピンクのヤマボウシを詠まれたこともあります。加藤さんに見えるものがどれも俳句の題材になり、美しが丘住宅での生活そのものが、俳句と結びついていきました。
 

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『安らぎのある終の住処づくりをめざして』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。