ヤマに生まれ、ヤマに死ぬ

建築系のコンサルタントとしての私の仕事は、外から見れば「建物」を建設するお手伝いです。しかしその本質は「建物」ではなく「営みづくり」にあると、私は確信していますし、私が勤める山下PMCのポリシーにもなっています。現在、山梨県の東京に近い外れに位置する丹波山(たばやま)村で、「地方創生」をお手伝いしながら「営み」における「目指す姿」とは一体何なのか、考え続けています。

丹波山村という村名はかなり古いものなのですが少し不思議です。多摩川の源流である丹波川の流域に位置し、最も大きな集落の名前が丹波です。丹波山という山があるわけではありません。それでも村名が「丹波山」村になった理由は、丹波の「ヤマ」を中心とした村だからなのだと思っています。

さて、平地が少なく冷涼な丹波山村では稲作をしていません。そのため水利権という考え方もなく、村内の関係はかなりフラットで、いわゆる庄屋と呼ばれる「イエ」もありません。炭焼き、こんにゃく栽培、キノコ栽培、狩猟など、長年にわたり換金性の変化に応じて山仕事の内容を変化させながら「ヤマ」の恵みで生きてきました。毎月17日は「山の神」の日です。この日はヤマ仕事の仲間が三々五々集まり、神棚に供えたお神酒を回し飲みし、その月の「ヤマ」での仕事を振り返ります。神事をからめて宴会をしながら反省会をすることで、円滑に日常の問題点を出し合い解決する仕組みが長年続いています。

昨今の異常気象の常態化の流れにより、日本全体で防災計画の想定レベルの更新が求められています。しかし、村の主要アクセス経路は、国道である青梅街道が連続雨量が80mmを超えると通行規制がかかり村への出入りができなくなるなど、かなり脆弱な状況です。平成26年豪雪の際は、丹波山村は8日間孤立したそうです。

何人かの住民に当時のことを質問したところ、「そういえば、そんなことがあったかな」という反応でした。村役場で非常食の備蓄をしているのですが、ほとんど消費されなかったそうです。不思議に思っていると、役場の方が教えてくれました。「そもそも村にはコンビニもないし、買い物といえば週に1回、まとめて買ってくるし、どの家も自家栽培の作物や備蓄があるから」とのことでした。

避難施設など、村の防災上の「ハード」は決して十分ではありません。しかしこのエピソードから窺えるのは、各世帯の災害時自立性の高さです。村の財政力指数は山梨県最下位ですが、村の真の姿は財政指標とは離れたところにあると言えそうです。

このような村の地方創生はどこに向かえば良いのでしょうか。少なくとも全国一律の同じ尺度での豊かさの追求はするべきではないと考えます。とはいえ、やはり変えるべきものは変えなければならないのでしょう。その上で何を残すべきなのか、自分が硬直した考えに捉われていないか、自問自答が必要です。地方の人間には、都会の人間の現実離れしたファンタジーに付き合う義理はありません。村は都合の良いテーマパークではないからです。

「ヤマに生まれ、ヤマに死ぬ」

山梨県のとある山村に暮らす村人の生涯を言い表したこの言葉に触れた時、村の「営み」の守るべきもののイメージが、初めて私の心の底に広がっていく感覚を覚えました。