この東京都立広尾病院事件東京地裁判決は、この原則に則りながら、医師法第20条ただし書きについての昭和二十四年通知(昭和二十四年四月十四日医発第385号各都道府県知事宛厚生省医務局長通知)「診療中の患者であっても、それが他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は、死体検案書を交付すべきである」との規定に本事例を当てはめて医師法第21条の適用範囲を拡大したと思われる。この東京地裁判決は、「医師法第21条の規定は、死体に異状が認められる場合には犯罪の痕跡をとどめている場合があり得るので、所轄警察署に届出をさせ捜査官をして犯罪の発見、捜査、証拠保全などを容易にさせるためのものであるから、診療中の入院患者であっても診療中の傷病以外の原因で死亡した疑いのある異状が認められるときは、死体を検案した医師は医師法第21条の届け出をしなければならない」とした。

ここでいくつかの問題が浮上する。

①この事例は、交通事故等の全然別個の原因により死亡したと言えるのか、

②そもそも『検案』とは何か、

③この事例は、異状を認めたと言えるのか、

④二十四時間の起点はどこかということである。

東京地裁は①については、「容態が急変して死亡し、その死亡について誤薬投与の可能性があり、診療中の傷病等とは別の原因で死亡した疑いがあった」ことを挙げているが、そもそもリスクを抱えている医療行為に付随して起こった医療過誤が交通事故と同等に考え得るのか否か問題があろう。②の『検案』については、東京地裁、東京高裁、最高裁いずれも「死体の外表を検査すること」との認識は同一と考えられる。③の異状の根拠については、「診療経過により把握していた情報、急変の経過についてE医師から説明を受けた内容」等の『経過の異状』と「自身が蘇生措置の際などに目にしたAの右腕の色素沈着」という『外表異状』を挙げている。東京地裁は、④の二十四時間の起点は、経過の異状と右腕の色素沈着を目にした死亡診断時点としている。

東京地裁判決は東京高裁で破棄される。破棄の理由は、『検案』とは「死体の外表を検査すること」であるが、死亡診断時点で、D医師は、Aの右腕の色素沈着を明確には認識していなかったとするものであり、「外表異状」の明確な認識が必要とされたものである。

東京地裁が根拠とした『経過の異状』や伝聞証拠を東京高裁は否定し、客観的な基準である『外表異状』によることを明確にした。最高裁は東京高裁判決を支持した。

「『検案』とは、死体の外表を検査すること」との認識は東京都立広尾病院事件裁判すべてに共通の認識であるが、東京地裁の経過の異状あるいは伝聞を考慮した異状の判断は否定され、客観的な基準である「外表の異状」を「明確に認識していること」が求められたものである。
 

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『死体検案と届出義務 ~医師法第21条問題のすべて~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。