このように、記憶とセットの快不快情報は、その人の身体側での出来事とも関連しているため、身体が違えば、生成される快不快のラベルも異なるものになる。

なので、ある人の意識を電子機器に移行して、継続するのは、無理。いやいやそうではなくて、身体も完璧に電子機器に移せるのが前提、ということであれば、論理的には、ある人の意識を継続できることになるが、現実感に乏しい。

人間のような意識は無いが、ある人の、受け答えのパターンに似せた、受け答えをするロボットは構築できる。その人の知識と受け答えのパターンをコンピューターに学習させれば良い。

これは、現在でも可能だ。一方、意識に近いものを電子的に実現するのは遙かに難しい。それが何に役立つのかという疑問もある。が、見てみたいという好奇心はある。

ルール

世界はルールに満ちている。そもそも世界像の編み込みと不可分である言語には、文法(ルール)がある。

子供の頃は、家庭のルール、友達とのルール、学校や習い事でのルール、成人する頃には、いわゆる常識として、社会生活を無難に送るのに必要なルールを身に付ける。

約束や契約はみなルールだ。別の見方をすると、人間は、社会を構成して生きていて、その中で何らかの役割を持って(演じて)いる。

例えば、家庭内での子供の役、生徒の役、スポーツチームのメンバーの役、未成年の役。それぞれの役にはルールがある。

本章では、前章で分析した意思決定に関わる日常と反省レベルの観点から、殺人事件に関わる犯行意思と責任、及び子供へのルール編み込みについて、どう捉え直すことが可能か検討すると共に、自分の意思決定・アクション選択を意識的にコントロールできないという反省レベルの考えが、モチベーションに与える影響などについても考察する。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『意思決定のトリック ―身近な体験に基づいた人間理解―』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。