母親の様子が変わってしまったからだろう。毎日涙を流しながら酒を飲む母親と三人きりの生活。そこには祖父母はいない。

母親は父親が不在の状態で一人で子育てをしなければならなかった。父親は単身赴任をしながら家族から逃げているように見えた。たまに帰ってきては夫婦喧嘩。私達姉弟は黙ることしかできなかったのだ。

私と弟は、沖縄に帰ればまた母親が穏やかで優しくなるものと信じていたのだ。しかし、沖縄へ帰るという夢は叶わず祖母は六十歳という若さでこの世を去ってしまった。

皿に盛られたカルボナーラを食べながら、私は続けた。

「とにかくお前はね、どこまでも逃げなさい。立ち向かわずにどこまでも逃げなさい」

それから弟は母親から逃げて、東京の大学へ行き、就職後韓国のお嬢様の婿養子という形を選んだ。

「よくやった、お前は偉い!」

私は大絶賛した。弟なりのやり方で両親から完璧に逃げたのだ。私は上京して来ても住む場所がなかったので、カプセルホテル生活から始まった。

そこで八王子にアパートを借りる際、弟に保証人になってくれないかと頼んだが断られた。

他に保証人になってくれる人がいなかった私は多額の金を積んで保証人なしでそのアパートを借りた。古い一軒家の二階だった。しかし、職場が変わったこともあり、国分寺に引っ越した。そんな中、国分寺のアパートから弟に電話をかけてみたことがある。

「姉ちゃん、住む場所あるの?」

「国分寺のアパートにいるよ。同じ東京にいるからたまに一緒に飲みたいなと思って電話した。奥さん元気?」

「元気だよ。父さんに電話してるの?」

「してない。もう、私から電話することはないと思うよ」

「そうだね……」

保証人のことはもうどうでもいい。心配してくれていたのだろう。この電話ではそれを感じることができた。保証人になるのを断ったことも、どこか後ろめたさを感じていたのかもしれない。

電話に出た弟の声は優しかった。私の新しい携帯電話の番号を登録していなかったようだ。

そうか、だから今まで連絡が来なかったのか。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『破壊から再生へ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。