両親の苦難

父は母の悲嘆にくれる姿を見て、残された母の身内、祖母と弟、妹を自宅に引き取ることを決めた。

安サラリーマンの父には家族が三人も増えるということは、重い決断だったと思うが、自分の務めだと決心したようだ。そういう事情で、生きて残された三人は小さな我が家で一緒に暮らすことになった。

私にとっての叔父が中学生、叔母はまだ小学校一年生の時だった。その時、誰も考えが及びもしないことだったが、母のその後の人生を悩み多いものにしたのは、実はこの叔父であった。

町医者の長男として、使用人もたくさんいる中で、ちやほや育てられた叔父は、戦争によって両親も家屋敷も、頼りにしていたものを全てなくし、医者の家の後継ぎとしてのステイタスそのものを失くしてしまったのだ。

医者になるために地元の名門校灘中学に通い、家庭教師をつけられて熱心に受けていた教育も、目的を失った叔父には空しいものとなってしまった。

義兄の父は、引き取った弟妹をきちんと教育しなければという責任感から、彼らを甘やかさず、厳しく育てた。しかし、ボンボン育ちの叔父は、あまりに大きな運命の悪戯に、現実を受け入れられず、義兄に反抗して、道を踏み外していった。

後から知ったことだが、父は学校をやめてしまった叔父に、自分の働いている会社に就職の世話をしたそうだ。しかし叔父はまじめに働かず、その上、父にかかる迷惑も顧みず、会社のお金を使い込んだ挙句、首になってしまったということだった。

叔父のしたことの中で、一番家族の運命を変えたのは、母が管理していた家の登記簿や印鑑を持ち出して、八人の家族が住んでいる家と土地を無断で売ってしまうという大それたことを、しでかしたことだった。

父は義弟の所業の後始末として、自分も会社にはいられなくなり退職し、新しく仕事を求めて短期間、単身東京へと出掛けて行った。

しばらくして社宅のある会社に就職口を見つけ、家族を連れて東京へ引っ越すことを決めたのだった。今思い出すと、叔父の人生を狂わしたのは、あの忌まわしい戦争だった。

彼自身の弱さも大きな要因だったが、両親を亡くし、生きる目的を無くした中学生がどう生きて行けただろうか。だが、父と母はその叔父に翻弄されて、その後苦しく長い年月を送ることとなった。