それでも、その後朝鮮総督からも、真珠湾攻撃からの対米戦開始に伴って、計画が変わるとの話もなかったそうで、引続き、皇帝擁立準備は、口頭伝達された朝鮮総督府関係者によって、水面下で進めていたとのことでした。

しかし、戦争は大惨敗に終わり、一連の計画は陽の目を見ることなく、一部の人間のみが知る形で終わってしまいました。

これが、明治時代から「日本の明治維新を手本にした韓国の維新を行う」という、一部形を変えても、昭和の時代、大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れるまで存在していた、日本の成功体験を他国にも持ち込み第二第三の維新を起こすという、シンプルな考えに基づく、最初の成功例になる予定であった、朝鮮半島近代化の本来の目的になります。

「前進する朝鮮」(昭和17年・1942年)より傳説 の記録(国立国会図書館ウェブサイトより)

大東亜戦争(太平洋戦争)中の昭和17年(1942年)に、朝鮮総督府情報課から出された「前進する朝鮮」になります。

この情報課は、戦争中の情報管理部門(プロパガンダ担当)として朝鮮半島の各新聞社とも連携を取っていた組織になります。

この情報課が出した出版物でも、日本の対朝鮮半島政策が、明治、大正、昭和と、三代の天皇が示されていたものに従っていることがわかります。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『受け継がれし日韓史の真実 ─朝鮮引揚者の記録と記憶』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。