ナショナリズムとグローバリズム

しかし、彼らの政治的嗅覚は奇妙に類似している。

1912年にルーズベルトは新ナショナリズムという政策を掲げて第3党から大統領選に出馬した。この政策内容は民主党と共和党におけるえこひいきと政治腐敗を糾弾するものだった。

ルーズベルトの発表した党の綱領の一つは

「この見えない影の政府をぶち壊し、腐敗したビジネスと腐敗した政治の間の堕落した連携を解き放つことが現在の政治家に託された最初の仕事である」と宣言している。⑼

トランプが「ドブ沼を掃除する」と叫ぶが、少し明確さが足りないかもしれない。それでも彼らの問題意識は同じだと言えよう。

この歴史的な比較のポイントは、トランプが特殊な現象ではないということなのだ。彼はあるタイプ、真のナショナリストであり、それはアメリカ人が1世紀以上の間、ホワイトハウスの中に見ることがなかった政治家なのだ。

ルーズベルトの前にはジェームズ・ノックス・ポルク(1845‒49)とアンドリュー・ジャクソン(1829‒37)というナショナリストと形容できる大統領がいた。

ジョージ・ワシントンは議論したところで誰もが「アメリカファースト」をモットーとする人物であると認めるだろう。それはアメリカが自身のアイデンティティを維持し、多国間的な誘惑に抗するために、100年に一度真のナショナリズムの揺さぶりを必要としているかのようだ。

トランプは21世紀の揺さぶりなのだ。現在のナショナリストとグローバリストの間で最も政治的対立点になりそうな論点が国境問題である。これはトランプの決まり文句であるメキシコ国境の壁と移民の入国管理の強化を超えた問題なのだ。

国境には物理的側面と法律的側面、心理的側面があるが、トランプとグローバリストはこれら三つについて闘っている。グローバリストにとって試金石となるのは国境の無い世界の実現だ。

これは資本、人々、財貨、サービスそしてアイデアが国境、国の資源、あるいは国家目標に関わりなく世界中を自由に移動できることを意味する。

グローバリストの観点では国家という存在は良くても不便なものであり、悪ければ彼らのビジョンの完全実現の妨げになる脅威と見られている。

大胆な新しい世界、それは自由な資本の移動、自由貿易、為替レートの自由な変動、それに全く摩擦のない人の移動が実現した世界であるが、その実現を急ぐ割には語られない事実は、国家による統治はなくなるわけではなく、それは配置換えされると言うことだ。