乾いた青空に響く和太鼓というギャップは、私に大切なことをストレートに語りかけるような感覚がありました。

もし日本で盆踊りを見たとしても、この感覚にはならなかったはずです。

『浴衣』や『着物』は、ここにいる末裔の『日本の人々』と『先祖魂』なのだと訴えかけている思いがしました。

結婚して間もなく、自分で着物を着たいと思い『着付け教室』に通っていたことがありました。一回のレッスンで一時間の進みはのろく、一年くらい通ったところでやめてしまいました。

教室で購入した着物を自分一人で着ても、なかなか綺麗には着られず、次第に着ることをやめてしまっていた私でした。習っても面倒で着ることをやめてしまう日本人は多いのではないかと思い、なんとかして多くの日本人が着物を着られるようにならなければと、異国のアメリカで気付いたのです。

着物といえば、社寺仏閣の多い京都や奈良、浅草、桜の名所や梅の名所、伝統のお祭り風景やお茶の席と答える人は多いと思います。

アメリカの地で着物に魅せられ、着物への思いが再燃した私が考える着物に合う風景は、対局のイメージがあるところです。

1868年(明治元年)最初のハワイへの移民、153名の日本人を乗せた英国帆船が横浜港を出発しました。日系移民たちは、ヨーロッパの船員が着ていた青い縞の開襟シャツで農作業をしていましたが、それが擦り切れて使えなくなると、子供には自分の着物や羽織の端切れをを使い、パカラ風のシャツを作っていました。徐々に地元の人々も着物や羽織の薄い裏地で作ったシャツを着るようになったのが、現在のアロハシャツです。

常夏の青い海や白い砂の風景に、鶴・亀・松・竹・梅・流水模様や花鳥風月の着物柄という組み合わせが、心地よいギャップを生み出したのだと思います。

着物の柄を使ったアロハシャツは、日系移民のストーリーと共に今でもビンテージとして大切にされています。移民当時、貧しかった日系人にとって、着物は生まれ故郷の日本そのものだったと思います。

2002年、カリフォルニアで見た日系移民の盆踊りをきっかけに、私の人生に着物はなくてはならないものになりました。

帰国後から15年以上、着物を千回以上着続けた私は、「着物の素晴らしさは、自分で着ることにある」という確信を持ちました。

多様性重視の時代にあって、日本独自の文化の結集が着物文化だと思います。その着物文化を持続可能なものにしていくことは、未来の日本にとってとても大切なことです。

千年の歴史を経てもなお、現役の着物文化。普段はジーンズにシャツ、時にはジャージの私ですが、着物を着た瞬間、日本人のスイッチが入ります。

そのギャップがまた、パワーになっています。