A君や、私の幼馴染でもある彼の奥さんに、京都に遊びにくるよう何回か誘われたし、私にだってその気は大いにあったのです。ただ、2~3泊にせよ、京都へでかけるということは特に経済的な面で何回かの山行を諦め、捨てなければなりません。

京都には是非ともでかけて行きたいものの、それは同時に苦痛でもあったのです。しかし、この年には保険が満期になります。前回の満期の時にはP社のロード・レーサー・タイプの自転車を購入していますが、今回はそれを全て京都旅行につぎこむ所存でした。

そして、どうせならせっかくなので、日曜から次の日曜まで休暇を取り、思う存分に京都で過ごすことにしたのです。京都は中・高の修学旅行で2回訪れて以降、縁遠い町でした。でも現在ではA君の住む町であり、何時か再訪することがひとつの確信となっていました。

決して、JR東海のCMに乗せられたわけではなかったのです。春先から秋には京都を訪れる計画を立て、寺社仏閣巡りのみならず、北山を日帰りで歩くつもりでした。

修学旅行ではバスや計画に引きずられ引っ張られるように京都、奈良を巡りましたが、今度は自分の目や足で京都に接したいと思っていました。

1日にひとつだけでもいい、1日にいくつもの場所を見て回るよりは、ひとつひとつをじっくりと凝み視つめて、あわよくば何かを確かめられたりつかんだりすることができたら……それは多分理想か、ええかっこしいだから、もう何でもいい、とにかく自分流で京都を歩いてお酒を美味しく飲める店のひとつでもみつかったら、それでいいことにしよう。

それで儲けものだし、ほんの少しだけでも京都が自分のものになる。あまり力むのも私らしくない。私は情熱的ではありません。私はただ京都へ行けばいいだけです。

京都にはA君がいて、1週間もそこにいたら、嫌でも何かが起きるはず。ぜいたくはいいません。何か美味しいものを2つか3つ食えたらそれだけだっていい。とにかく待ち遠しい日々でした。

北山ハイキングのおおよその計画も立ち、どんな旅になるのか楽しみでもあり、いやいやただただ楽しみでした。

しかしながら、それが現実とならない限り、本当に京都に行けるのかどうか、不安な、もどかしいような気分でした。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『旅のかたち 彩りの日本巡礼』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。