暦の縁起、人生の演技

月が変わると、見えない世界が変わってくる。

運(ツキ)も変わる。それぞれの月がツキを持っている。日本の一年の暦には、それぞれ月の持つ役割がある。例えば、十月のツキで秋の運びが巡ってくる。秋は多くの方面で収穫のある良い季節だ。その次にやってくるツキは少し落ち着き、文化活動や芸術鑑賞に適している。年末は皆が忙しく、正月を迎える準備をする。やがて一月が新しい年を告げ、前の年を御破産にし、新しい運(ツキ)が全員にやって来る。

暦は役割があるが、それらを取り去ると「本質の時間」だけが残る。十三日と言えば、キリスト教では縁起の悪い日と考えるが、縁起の悪い日から縁起の良い日に向かう始まりとなり、結局は縁起の良い日である。易などで縁起の良し悪しを占うが、本質を見れば、縁起の悪い日は一日たりともないことになる。これから訪れる三百六十五日、縁起の良い日なのである。

人間も親として、子供として、友人として、社会人として、様々な役割を担っているが、それらを取り除くと人間の本質が残る。世の中は舞台であって、人々はそれぞれの役割の演技をして生きている。しかし、人生は演技だけではない。演技を取り除いた時に残るものが、大事な姿だ。

演技に徹するのは役者の使命だが、人間は役者ではない。本人の意思でその役を辞めたり、続けたりすることができる。母親の役が好きな人は、子供が巣立った後もその役を続けていることもあるだろう。父親の役を捨て、冒険の旅を選択する人もいるだろう。

誰でも先が見えないのが、人間の人生だ。自分で開拓し、取り組むテーマは、「自分の持ち時間の中で、どのように生きるか」。年齢にかかわらず、たとえ九十歳になっても、世界が広がる経験をすることはできる。役割と演技から離れた後で体験する「広がりとあとの楽しみ」だ。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『眼(あい) 天使が語った道しるべ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。