ショコラ・ローズ

「お前、何故赤い口紅を塗らないんだ?」

競艇場にいる予想屋さんは、私の顔を見るなりそう言った。

「持っていないからです」

「若いのにもったいない。お前、一生結婚するな。お前は独身の方がいい。独身が似合う」

「そうですか」

「赤い口紅くらい買えよ。そのまつ毛は付けまつ毛か?」

「いいえ、自分のまつ毛です」

「お前、どこに住んでいるんだ?」

「国分寺です」

「国分寺? そうか、俺の父親は昔国分寺にいたんだ。国分寺に物件があってな、俺はそこには入らなかったけど国分寺へはよく行っていたんだ。そうか、懐かしいな。女っていうのはな、面倒臭いんだよ。こっちは挨拶代わりに可愛いとか言ってやるだろ? そしたら急にモジモジしたりするんだ。馬鹿じゃないかと思うよ。お前は偉い。可愛いと言われても鋭い目つきを変えないな。堂々としてる。俺はな、そういう女が好きなんだよ。国分寺なら近いじゃないか。今度飲みに誘うから来いよ」

私は下を向いて笑ってごまかし、お辞儀をしてその場を去った。

クソオヤジが……。

赤い口紅と言われ、上京する前に通っていたファミレスでのひと時を思い出した。

「お姉さん、素敵な毛皮ね! 私も毛皮が大好き! この毛皮主人が買ってくれたのよ!」

私は何も言わず笑顔で会釈する。

隣のテーブルに座るご婦人が私に話しかけてきたのだ。確かに彼女も黒い毛皮を着ていたが、私の毛皮よりも安っぽく、髪を紫に染め、チェーンの付いた眼鏡をかけ、派手な赤い口紅を塗っている。体格が良く、六十歳前後と思われる。テーブルの上には、携帯電話とマイルドセブンを二箱、小さなラジカセ、ランチメニューのハンバーグセットと、自分で持ち込んだと思われるエビアンのペットボトルが置いてある。

「ごめんなさいね。うるさくないかしら? 私ね、音楽大好き! 煙草も大好き! いつも台所の隅に置いてある椅子に座ってね、このラジカセで音楽を聴きながら煙草を吸うの。

私、寂しいのよ。誰も構ってくれないからね、寂しいのよ。主人はね、私に暴力を振るうからいつも台所へ逃げるの。そして主人が酔い潰れて眠った後、このラジカセで音楽を聴きながら煙草を吸うの。私ね、身体を壊して入院していたのよ。先生がね、栄養を取らないと駄目だって言うのよ。だからね、週に一度この店に来るの。そしてハンバーグを食べるのよ。身体の調子が悪い友達にも勧めるのよ。ハンバーグを食べなさいって。音楽はね、何でも好き! シャンソン大好き! ジャズも大好き! クラシックも大好き! ロックも大好き! 私、音楽大好き! 煙草も大好き! お姉さん、その煙草メンソール?」

「そうです」

「あら素敵! 私はいつも馴染みの店で煙草を一日二箱買うの。マイルドセブンよ。店長さんがね、いつもお礼を言ってくれるの。たまに飴をくれるのよ。ほら、この飴。ビタミンCの飴よ。お姉さんもこの飴を舐めなさい。喉がスーッとするわよ」

「ありがとうございます」

「読書の時間を邪魔しちゃってごめんなさいね。このラジカセ邪魔じゃないかしら?」

「気になりませんよ。私も音楽が好きですから」

「良かった! お姉さん、薄化粧ね。口紅を塗っていないのね。黒の毛皮には赤い口紅が似合うのよ! 赤い口紅を塗りなさいよ」

「そうですね」

「お姉さん、旦那さんはいるの? 旦那さんは何のお仕事なさっているの?」

「独身です」