その後

実は、未だに不思議でならないことがある。それはショーが発見された顛末。ショーが自力? で発見された公園まで行ったこと。近所の主婦に偶然発見されたこと。

この主婦がもう少し早い時間に帰宅するか、いつものルートを通っていればショーは発見されることはなかった。その場合、ショーはどうしていたのだろう? また、結末はどうなっていたのだろう。「たら、れば」を考えても仕方がないと分かっていてもつい考えてしまう。

しかし、この出来事は全て偶然なのであろうか? 必然なのであろうか? この頃から私は神様のことを考えるようになった。神様といってもキリストとかアラーの神様のような既存宗教の神様ではない。いたって私的な神様である。

ショーが発見されたのは神様に生かされたのか、もし、そうだとすれば何の為に生かされたのだろう? 車にぶつかった時もかすり傷ですんだ。一歩間違えれば大事に至っていた。他に様々な苦難、危険に遭遇してきたが今でも元気に生活している。神様に生かされたとしか思えない。それでは何の為に生かされたのだろう。

なにか意味があるはずだ。未だに考え続けている。

今私に考えられるのは、神様が私達夫婦に与えた「生」へのエール、教育ではないのだろうか。

障害を持っているショーを育てているのは私達夫婦なのではなく、実のところ私達がショーに育てられていると言っても過言でないだろう。

「人生について」、「人間について」、「生きるということについて」、「成長するということについて」等、様々な疑問を深い意味で考えさせられていた。いや、未だに考えさせられている。

「男は働いてお金を稼いでいれば良い」なんて考えは木っ端微塵に吹っ飛んでしまった。

「ショー失踪事件」の年、ショーは養護学校に入学した。