人の生きざま

緩和ケアの世界では「人は生きてきたようにしか死ねない」とよく言われます。生と死は、当たり前のことですが、ちゃんと連なっていて、生きてきた延長線上で人は死にます。逆に言えば、その人の死にざまを見ればその人の生きざまが想像できます。概して、よい死に方をされた人は、よい生き方をしてこられた人だ、と言われるかもしれません。

しかし、その人生がよかったのか、悪かったのかを決めるのはその当人であって、他人がとやかく言う余地はありません。このGさんも自身ではよい人生であったと思っているかもしれません。

子どもの内輪げんかなら、「仲直りしようね」で済むかもしれませんが、Gさんのように自分の生きざまをかけた家庭内の不和は、そう簡単に氷解しないと思います。本人と家族、そのそれぞれが生きてきたストーリーを尊重するならば、私たちは立ち止まらざるを得ないと思います。

私たち緩和ケアに携わる人間は概してロマンチストが多く、このGさんのような人に出会ったときには何かしてあげたいと思うものです。皆が笑顔で「よかったね」と言えるハッピーエンドを理想とするのではないでしょうか。

しかし、人間は皆、違った価値観を持って人生を歩んできています。そして他人の価値観に無神経に立ち入ることはできません。誰しも自分の価値観に関しては、他人の侵入を許さないでしょう。ですから、Gさんはこれでよかったのではないか……と思うしかないような気がします。

Gさんは自分の死を目前にしても自分を曲げることはせず、自分の生きざまを最期まで通そうとした。つまり、Gさんは生きてきたように死ぬことを望んだのではないかと思うのです。だって、死ぬ直前に自分をガラッと変えてしまっては格好悪いじゃないですか……。

しかし、今の私には漫画のように「これでいいのだ!!」と胸を張ることもできません。ロマンチストとしての私の価値観がそうさせるのかもしれません。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『生きること 終うこと 寄り添うこと』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。