福井藩医の娘が、藩の危機を回避すべく活躍する痛快時代小説
男子として育てられたお転婆な福井藩医の娘が、父の仇討ちと藩士の謀反制圧をともに果たす痛快時代小説。
江戸の藩主に謀反計画を伝えるため、追手とせめぎ合いつつ、険しい高山を越えていく主人公、百合。
百合を中心に、血気盛んな若い藩士たちが、長年培われてきたい親世代の英知と経験を学んで成長していくビルドゥングスロマン。
江戸の藩主に謀反計画を伝えるため、追手とせめぎ合いつつ、険しい高山を越えていく主人公、百合。男子として育てられたお転婆な福井藩医の娘が、父の仇討ちと藩士の謀反制圧をともに果たす佐々木祐子氏の痛快時代小説『遥かなる花』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、紹介します。
地図
春の日に
遠くに見える険しい山々はまだ殆ど真っ白だが、肌に感じる風はもう春の暖かさと湿り気をたっぷり含んでいる。
まばゆい光に細めた目を身近なものに移しながら、小幡聡順は目に入ったものにふと気を取られて、手を止めた。
これは珍しいことである。聡順は薬草の調合を始めると、滅多に手を止めることがない。勿論込み入った薬の調合をする時は、何かに気を取られること自体ないが、薬研に入れた薬草をすりつぶしているだけの時でも、体が覚えきっている動きを止めることは滅多にしない。
それを、傍で内弟子などにお茶を配っていた妻の深雪は、おやっと思って見つめた。夫が手を止めて見入っている先を目で追い、その注目しているものを見極めると、思わず深雪の顔に微笑みが浮かんだ。
聡順が見つめていたのは、息子の聡太朗が仕方なく剣の相手をしてやっている末娘の百合であった。
広い屋敷の庭のその一角だけが大層賑やかなのだから、当たり前といっては当たり前なのだが、普段は富山藩の藩医として忙しい日々を過ごしている聡順が、ふと手を止めて見つめていることに、深雪はやはりという思いを抱いた。
お茶を手渡しに近付いて来た妻に、聡順がやれやれといった調子でつぶやいた。
「なんとあの子はお転婆だなあ」
すぐに、
「ほんに困ったことで……」
なぞという当たり前な返事があると思っていた聡順は、目を細めて百合の素早い動きを追っている深雪の、何か遠くに思いを馳せているような様子に、思わず(ほう……)という目で妻を見つめなおした。
「あの、ちょっと思っておりましたことを申してもよろしゅうございますか」
聡順は戸惑いながら、
「構わぬ。言うてみよ」
「あの子は今、女子として厳しくしつけましても、決して幸せな人生を歩めないような気がして仕方がありません。何か違う育て方が出来ないものでしょうか」
【登場人物】
小幡百合 小幡家の末娘。明るくて元気で知りたがり屋。物凄いお転婆。
小幡聡順 百合の父。富山藩の藩医。医学・本草学に造詣が深く、藩主も頼りにするほど。
小幡深雪 百合の母。聡順の妻。
小幡綾菜 百合の姉。体が弱いが美しく優しい。百合のよき理解者。
小幡聡太朗 百合の兄。小幡家の跡取り。
藤堂健之助 聡順の親友。剣道場徳明館の主。
藤堂健一郎 健之助の長男。綾菜の許嫁。
藤堂健吾 健之助の次男。聡太朗の親友。
藤堂静江 健之助の妻。
権爺 もと杣人足の頭。今は小幡家で薬園の世話をしている。
志乃 権爺の孫。
木村智則 小幡聡順の従兄。八尾で開業している医師。
木村智直 木村家の長男。小幡家で内弟子として研鑽に励んでいる。
佐々木高悦 小幡深雪の兄。加賀藩の御殿医。
佐々木高琳 高悦の長男。
井上陽堂 小幡家の内弟子。聡順の代脈を務める。
小池新之丞 藩の組頭小池新左衛門の長男。若い連中の集まりの首謀者。剣の使い手。
田口康成 新之丞の従弟。父は小池新左衛門の弟田口新之輔。
橘主膳 勘定方の河川改修の部署に務める。
橘膳次 橘主膳の次男。新之丞の仲間。
三宅慶三郎 藩の目付三宅慶衛門の三男。新之丞の仲間。
佐藤栄二郎 藩の奉行佐藤栄蔵の次男。新之丞の仲間。
うめ 小幡家の女中。
佐枝 小幡家の女中。
とよ 小幡家の女中。
良吉 小幡家の下男。
左平 立山堂の板橋支店の支配人。