溜息をついて健一が言うのへ、ふと梯子を外すように、

「わしはいつも仰向けに寝とってなあ、俯せになんぞ寝たことないんや。三週間俯せなんて、とても無理や」

正太郎が言った。「なんだ、そんなこと心配しとったんか」

「そうやなあ、おじいちゃん、でっかい腹やもんなあ。つかえるわなあ」

「まあそこは何とか工夫してもらうさ。先生にもお願いしとくから」

二人は笑いながら安心して帰って行く。そういえば正太郎の俯せに寝ている姿は見たことがなかった。

武彦も健一も軽く考えているが、正太郎にとっては確かに重大な問題に違いなかった。家から通う分には注射も点滴も平気な正太郎が、ただ入院をしたというだけで、自分の終末を予想し怖気づいている。

その上、大きな太鼓腹を圧迫する俯せ寝の苦痛に耐えなければならないとは、想像するだけで血圧が上がり脈拍も速くなるというものだろう。

しかもその色白の輝くばかりの太鼓腹には正太郎自慢の巨大な出臍が鎮座しているのだった。

「お腹もだけど、もしかしたらお臍が擦れるから、おじいちゃん、俯せでは寝られないのかもね。お臍に悪いとか言って、ズボンのバンド、昔からお臍の下に締めているもの。だからいつもズボンの裾引きずって」

「そうですよそうですよ、きっと。あれだけ大きいんやもの、俯せしたら大変やわ」

家政婦歴が長いという好江はどんなことにも間髪を容れず滑るように相槌を打つ。

「おじいちゃんにとっては守り神なのよ、あのお臍」

ふゆ子は正太郎の太鼓腹を嵌めるタイヤのような輪っかを頭に浮かべ、ついでに顔を嵌める輪のことも考える。こんな時、圭二がいたら、すぐ走りまわってアイデア満点の何か適当な物を探してきてくれるに違いなかった。

その圭二には正太郎の入院をまだ知らせていない。圭二の

「僕も頑張るからおじいちゃんも頑張って」

の一言で、正太郎は気力を振りしぼり勇気を出すだろう。

しかしそれを圭二に言わせる哀しさが、圭二のためにも正太郎のためにも、ふゆ子を躊躇わせている。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『となりの男』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。