当然ながら宿題などはほとんどしていかなかった。向上心が無いわけではなかったが、家事を繰り返し押しつけられる中で、小さいなりに自分の人生とはこんなものだとの諦めがあったのだ。

それでも家事を熟し家族に頼りにされることで自分の存在価値を見出していた。沙耶は二人兄妹で竜也という弟がいるが、この狭い港町での生活を嫌い沙耶と同じ地元の高校を卒業するとすぐに家を出て大阪に行ってしまった。

連絡は途切れていて沙耶は弟がどんな職に就いているのかさえ知らなかった。噂では転職を繰り返し経済的に窮しているとのことで両親の面倒を看るどころか家に寄りつくことさえ稀だった。

たまに帰って来たとしても目的は両親に金をせびることだった。嫁ぐことさえ儘ならず姉の沙耶が貧乏くじを引いた形であった。沙耶が漁火で自分の恋愛経験の話をするとき、相手はちょっとジャニーズ系のタレントに似ていて可愛かったといつも悔しそうに言うのだった。

沙耶は、高校の卒業と同時に家を出て伊勢市にある電気機械部品の下請けメーカーに勤めた。従業員が五十名ばかりの中小企業だった。自分は手の汚れない事務をしたかったが、採用試験の成績が響いたのか製造部門に回されてしまった。

高校時代にもう少し勉強して日商簿記の二級でも取っておけば良かったと思ったが遅かった。製造行程のラインに入り、毎日忙しく立ち回った。

作業は忙しいが、要領を覚えてしまうと意外と単調ですぐに飽きが来た。三月も経つと楽しみは給料日と土日の休暇だけとなった。

沙耶の実家は親が共稼ぎでさほど生活に窮するというわけでもなかったが、親からは結婚費用ぐらいは自分で稼げと言われていた。それと何よりも家を出て自活していることから嫌でも会社には通わなければならなかった。

紅葉が始まり出した十一月の始めに彼氏ができた。

五つ年上の軽薄そうな男で左耳にピアスをし、髪を茶色に染めていてテレビで活躍する若いタレントに少し似ていた。職場の先輩で皆にはマー君と呼ばれていた。

毎日顔を合わせ、挨拶程度の言葉を交わすだけであったが、製造ラインの仲間が揃って食べる昼休みの食堂で窓から見える構内の楓が紅葉し始めたことが話題になり、これを契機にどこの紅葉は綺麗だ、いやあそこが一番だと話が盛り上がった。

沙耶は紅葉狩りに出掛けたことなど一度もなく、口を挟めず羨ましそうに黙って皆の話を聞いていた。その日の終業ベルが鳴り、仕事を止めて沙耶がロッカーに向かおうとすると、マー君が寄って来た。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。
※本記事は、2020年11月刊行の書籍『浜椿の咲く町』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。