「愛」の獲得こそが、人生の目的

人生の中で、又社会の中で、最も大切な概念は何だろうか。

それは「愛」ではないだろうか。「愛」が生きていく上で、非常に大切な想いだということは、異論のないところだろう。

ただその概念が個人に属していて、企業活動や国家の理念にはあまり入ってきていない。人として生きていく中で、とても重要な概念ならば、社会という人が集まった世界の中で、もっと重要視されてもいいと思う。

企業活動や国の政策でも、「どちらが、より利益があるか」という経済的価値の判断だけでなく、「どちらが、より人が幸せになるか」といった判断基準があってもいいと思う。

今の社会は人の成長を育み、人としての素晴らしさが評価されるシステムではなく、生産を拡大し効率を上げ、利益を生み出すことが評価されている社会になっていると思う。

今の社会に起きている歪み、犯罪や自殺の増大、病気や環境汚染なども全体が共通した根を持っていると思う。戦争も疫病も自然災害もその問題だけに対応していても直らないと思う。

全体の歪みを直さない限り根本的には解決しないのだ。痛いところを治すだけでなく、健康な体を取り戻すことが重要なのだ。

最近のニュースで親が子供を殺したり餓死させたりというのを聞くと、何か人にとって一番大切なものが欠けていってしまったのではないかと思ったりする。

人生のスタートに当り、最も愛について学ぶ時期に、最も愛情を注いでくれる人たちから、そのような仕打ちを受けた子供たちの気持ちを考えると、胸がひどく痛む。親に悪意があるというより、むしろ親も愛されたことが少なく、愛に対し無知なのだろう。

今の社会では、人を愛することを学び育む文化や環境が、貧弱で少なすぎるように思う。

「愛」が「如何に生きるべきか」という問題に対する、唯一の満足のいく答えだとすると、愛の発展を阻害するような社会は、人間の本質と矛盾していて、やがて滅びていくのだと思う。

「愛」は人間が人間らしく生きる上での本質的な感性である。愛する感情は人を損得勘定から解放する。不安や妬み、怒りから解放してくれる。人の心を満たしていけるのは「愛」ただそれだけである。

「愛」の報酬は「愛」だから、多くの人が自分から発信していくことにより、次第に人々が安心感と幸せ感に満たされ、人としての誇りに満ちた、成熟した社会が築かれていくのだ。