少し前までは水田を人に貸して稲作をしてもらい貸し賃を受け取っていましたが、今では無料で、もしくは逆にお金を払って稲作をしてもらっている状態です。

しかも、その貸した相手からお米を買うというあべこべなことにもなっています。

減反政策は2018年度には廃止することになっていますが、その前から水田は昔と比べ減ってきていると思います。一旦やめた水田を再開することはとてつもない労力を費やします。

また、アメリカや中南米のように広大な土地を大型機械で耕したりするのと違い、日本の土地はいびつで狭く手間がかかり、かなうものではありません。

しかも、安いカリフォルニア米なども一昔前に比べおいしくなってきています。今、日本では機械も土地も人足も共同でするということもなされています。

そういうところの農家は存続できますが、それ以外のところでは農業が縮小していくことは目に見えています。

農業の良さは、人ではなく自然を相手にする職業なので、労働的には大変な反面、精神的には楽な点です。自然は結果的には噓をつきませんし、野菜などの成長は楽しみにもなるので、私のように気を使いストレスを抱える仕事に就いていると農業のほうがいいなと思うことがあります。

しかし、日本において経営的に成り立つかというと、難しいのではないかと思います。

そして、農業改革をうたっている政治家もいますが、アメリカのようなわずか200年と2700年の歴史がある日本、また奪った土地と昔から土地を守ってきた者では土地に対する愛着が違います。例え小さな土地であっても先祖から受け継いだ土地を責任を持って守って農作業をしている人もいます。

そういう状態で集約して農業をするのはむずかしい部分もあります。諸外国から安い食べ物が入ってくると、やはり人間の心理で安いほうを買ってしまうからです。

そのために保護政策などがあるのですが、普通に考えると、なぜ保護をするのだ、消費者のためにどんどん安いものを入れたほうがいいじゃないかという当たり前の理論になります。

※本記事は、2017年11月刊行の書籍『日本のこれからをつくる本』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。