「カウンセリングマインド」を広めはしたが、「万能論」については発信するどころか、それに対する警戒心は人一倍強かったと言える。

では、なぜそのような考えを志向する教師が現れ、広まっていったのだろうか?

さまざまな仮説が立てられるだろうが、その一つとして、拙著『公立中学校における教育相談推進を妨げてきた要因の考察』(京都大学大学院入試論文 2002年)において論じた「どうしても指導をしたがる『子どもをパフォーマンスの道具にしている』教員」の存在があげられるだろう。そうした教員への抑止力を働かせるために「カウンセリングマインド」を絶対的なものに仕立て上げようとする指向性が生まれても致し方なかった、と言えるのかもしれない。

いずれにせよ、こうした(二律背反的)両極端の指向性という構図は、学校現場において避けて通ることのできないところではある。
 

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『教育現場の光と闇~学校も所詮〔白い巨塔〕~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。