第二章 破 絶歌

進化論の行き着く先

ヒットラーの右腕、ゲシュタポのトップにいたハインリッヒ・ヒムラーもまた「自然法則は適者生存である」と語りました。その結果がガス室での大量殺戮です。ヒットラー自身も「キリスト教と聖書の教え、その愛の考え方も今や『強者の弱者に対する倫理』によって置き換えられるべき時がついにやって来た」と誰憚ることなく、例の口調でたびたび演説したとのことです。

ちなみに、ドイツ人は「この書物」をドイツ国内で自由に読むことは絶対にできません。販売禁止の書物であり、焚書坑儒の書物だからです。

論文指導の際にある教授は、「学術論文には三種類がある。一つめは、あるテーマについて書く場合にどうしても読まなければならないものである。二つめは、暇があったら読んだ方がいいもの。

三つめは、暇があっても決して読んではならないものである。学生に論文作成の資料として読ませる時は、この三つめを読ませてはならない」と述べたとのことです。

進化論が人類にもたらした最大の悲劇は、人間自身の手による自画像の破壊です。しかし「神のかたち」に似せて創造された唯一の被造物である人間から「私とは何者か?」という記憶を消すことは、不可能なのです。

神に対し顔を上げることをやめてしまった人間のセルフ・アイデンティティーは、自分よりも低次な生き物の中にその似姿を求める他ありませんでした。

それらと同列に人間を置き、観察し整理整頓するのが科学であると思い込んでしまったからです。その延長線上にいる自分というものを理解するためには、それしか方法はありません。目的を喪失した人間の手元に残ったものは、「自由」だけとなりました。

しかしその自由とは「神よりの逃走」であり、結局は自己の喪失という彷徨でしかなかったのです。その結果が混乱と破壊と狂気と、そして「死」です。

イスラエルの預言者も聖書に曰く、「彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。─神である主の御告げ─わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』」(エゼキエル33:1~11)。

我々にとって、そして全人類にとって、どうしても読まなければならない本はあるのでしょうか。「本の中の本」、「The book of books」即ち『聖書』という書物を人間がそのように定義するのであれば、人間が人間になるために必要な本は、『聖書』しかありません。

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(ヨハネ8:12)と語る御方だけが、「実存の暗い深淵」を照らすことができるからです。

これからの時代を生きていかねばならない子供という未来の大人たち、生と死の根拠を奪い取ろうとする悪しき者どもから彼らを守ることができる唯一の書物が、『聖書』なのです。『聖書』とは即ち人間のためのマニュアル書であり、そのための指南書だったのです。

したがって、この書物は人間が自分たちだけの手で著したものではありません。なぜなら、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)。

※本記事は、2019年7月刊行の書籍『西洋キリスト教という「宗教」の終焉』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。