5度も切腹した銀行員

「自分にはほかの人にはない確かな能力があるのに、職場がぜんぜんそれを認め生かしてくれないんです。どう見ても自分に不向きな仕事ばかりをやらされる。それがストレスになって、こんなことになってしまったと思います。職場がもっと適材適所の人事をしてくれていれば、病気にならずに済んだのに……」

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うつ病の診断を受けてデイナイトケアに通っている39歳の男性は、自分がなぜ病気になったのかを考えるプログラムで、こう打ち明けました。

大学を卒業して大手銀行に入行した経歴は、世間的に見れば“勝ち組”に入るのかもしれません。が、正直なところ、本人がいうほど優秀な人物であるようには思えません。おそらくは本人の自己評価と、世間の評価に大きなギャップがあったのでしょう。

彼は仕事ができないのを「会社が自分の能力に適した仕事を与えないからだ」と考え、ストレスを募らせていきました。そうしてあるとき、ストレスが臨界点に達してカッターで自分の腹を切ってしまったのです。

ワイシャツは鮮血で真っ赤に染まり、職場はパニックになりました。社内では「あの人は気が狂ったみたいだ」などと噂がたちましたが、ひとたび「うつ病」という診断名が下ると周囲は納得し、同情的に気づかってくれました。彼は会社の規定で半年間の療養期間を与えられ、十分に休養した後職場に復帰しました。

ところが、いまのご時世どの業界も激しい競争を繰り広げていますから、半年間も職場から離れていると、なかなかキャッチアップできません。

本人は第一線で活躍したいし、自分にはその能力があると自負している。けれども、職場はもともと彼にそれだけの価値を見出していなかったのだと思います。ましてやうつ病になって腹を切ってしまった人ですから、とても責任ある仕事を任せられません。そのことがストレスになって、彼はまた職場で腹を切ってしまいました。

彼の勤務先は労務管理のしっかりとした企業ですから、病気を理由にリストラをされることはありえません。彼はふたたび休暇をもらい、療養生活に入りました。

職場に行かなければストレスはありませんから、普段の彼はいたって元気にしています。収入面でも多少は減額されるとはいえ、もともと年収1000万円クラスですから余裕があります。彼女とデートをしたり、海外旅行に行ったりと優雅なものです。

そうして療養期間を終えて職場に復帰すると、またうつ病を発症して腹を切ってしまう。彼はこんなことを、なんと5回も繰り返したのです。

彼を見ていると、うつ病というより依存症の傾向が強いように思います。最初の1回こそストレスから衝動的に腹を切ったのでしょうが、それで周囲が気づかってくれたり有給休暇がもらえることを知って、嫌なことがあると現実と向き合わず、腹を切って逃れる思考が出来上がってしまったのだと思われます。

彼自身の生い立ちを聞いてみると、一人っ子で、子どもの頃から仲間と競い合ったりケンカをしたり、先輩から叱られたり鍛えられたりといった経験がなかったといいます。学生時代までは「あなたはオンリーワンの存在なんだ」と大事に育てられてきたのに、社会人になって、いきなり実力主義や上下関係の厳しい世界に放り込まれてしまったのです。

多くの人はそこで「社会とはこういう厳しい世界なのだ」と思い知って、一人前の社会人に成長していくのですが、うまく適応できなかったりストレスに耐えきれるだけの強さがないとうつ病や依存症になってしまうのです。

日本では1980年度から2010年頃まで「ゆとり教育」が採用されました。暗記中心の「つめ込み教育」や「受験戦争」が子どもたちのストレスになったとして、学習量を大幅に減らし、競わせたり規則で縛らない学校指導が実施されました。

この方針は学力低下が顕著になって近年見直されましたが、ゆとり教育を受けて育った世代が親になり「モンスターペアレント」になっています。学校のことで子どもが少しでも不満をもらすと、親が乗り込んできて教師に猛抗議するのです。

先生たちはすっかり委縮してしまって、子どもたちをまったく叱れなくなっているといいます(そのことでストレスを感じ、うつ病になってしまう先生もまた多いのです)。

ゆとり教育が良かったのか悪かったのかの判断は教育評論家にまかせますが、精神的に未熟なまま社会人となる人は、今後ますます増えるでしょう。一方で、経済はますますグローバル化が進み、企業は世界を相手に競争を繰り広げています。社員に求められる能力や仕事量のハードルは、どんどん上がっていきます。このギャップが今後どのような状況をもたらすかは、火を見るよりも明らかです。

※本記事は、2017年10月刊行の書籍『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。