「彼女の方からは何も言ってこなかったので私も心配してね、一回電話をしたんだが変わりはなさそうだった。だがその夏、二回目の電話をかけたが、どうしてもつながらなかった。これはおかしいと調べると、アンナさんは一カ月前にそこを引き払ったということだった。

私は再びポルトに飛んで、借家の大家に会って様子を尋ねた。家にあるものは適当に処分してもらいたいと言って、身一つでの慌ただしい出発だったことを聞かされた。まだ三十五歳で若いんだし、美しさだって、本当、昔のままなんだから、いくらでもやり直しができるのにな。惜しいよ全く。大家が行き先を尋ねたようだが、特に決まってないと言って、その後どこに行ったか分からなくなってしまったんだ」

「それでそのまま現在まで三十年も行方不明というわけですか?」

「そうだよ。でも二〇〇〇年の春頃、リスボンにいるらしい噂が風の便りに聞こえてきたんだが、リスボンといえば三百万人の大都会だ。おいそれとは見つかりませんわね」

「ところでエステさん、ロンドンのあなたのギャラリーで、フェラーラの絵を買ったとき、なぜ私にあの写真を手渡したのですか?  あれはフェラーラさんの家族写真ですよ?」

宗像はあの日以来続いている大きな疑問をコジモにぶつけた。

「フェラーラのことを全く知らないあんたがロンドンであの絵を見つけ、そして気に入って買った。そう、一九六一年九月、ヴェネツィアのアルトゥーロ画廊で私が初めてフェラーラの絵に出会ったときも、あんたと同じ衝撃を受けたものだ。それでその絵を買い取った。もちろん、当時ピエトロ・フェラーラなど無名の画家だったんだ。だからあんたがね、その自分の姿に重なったんだろう。それで少しあわててしまった。中身を良く確認せずに渡してしまった。二枚入っていたとはな……。いや本当に大失策だった。今更返せと言っても……無理だろう? しかし、世の中には説明できないことなど無数にあるものだ。
 

そうでしょうがね宗像さん。あんたがエリザベスさんと今ここにいることもさ。それもね、フェラーラの娘である人にだよ。あんたが惹かれたアンナさんの肖像に生き写しのエリザベスさんだ。私だって、こんなことを聞けば鳥肌が立つさ。これほどの偶然があるとはね?」

コジモはまだ極めて重要なことを隠しているのではないかと宗像は疑った。しかし今回はコジモをこれ以上追求できそうもないと判断した。
 

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。