謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
阿佐見昭彦氏の小説『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋。エステ画廊社長であり、急死したロイド財団会長の親友だったコジモは、大きく息をつき、ユーラについて語り始めた。
「彼女の方からは何も言ってこなかったので私も心配してね、一回電話をしたんだが変わりはなさそうだった。だがその夏、二回目の電話をかけたが、どうしてもつながらなかった。これはおかしいと調べると、アンナさんは一カ月前にそこを引き払ったということだった。
私は再びポルトに飛んで、借家の大家に会って様子を尋ねた。家にあるものは適当に処分してもらいたいと言って、身一つでの慌ただしい出発だったことを聞かされた。まだ三十五歳で若いんだし、美しさだって、本当、昔のままなんだから、いくらでもやり直しができるのにな。惜しいよ全く。大家が行き先を尋ねたようだが、特に決まってないと言って、その後どこに行ったか分からなくなってしまったんだ」
「それでそのまま現在まで三十年も行方不明というわけですか?」
「そうだよ。でも二〇〇〇年の春頃、リスボンにいるらしい噂が風の便りに聞こえてきたんだが、リスボンといえば三百万人の大都会だ。おいそれとは見つかりませんわね」
「ところでエステさん、ロンドンのあなたのギャラリーで、フェラーラの絵を買ったとき、なぜ私にあの写真を手渡したのですか? あれはフェラーラさんの家族写真ですよ?」
宗像はあの日以来続いている大きな疑問をコジモにぶつけた。
「フェラーラのことを全く知らないあんたがロンドンであの絵を見つけ、そして気に入って買った。そう、一九六一年九月、ヴェネツィアのアルトゥーロ画廊で私が初めてフェラーラの絵に出会ったときも、あんたと同じ衝撃を受けたものだ。それでその絵を買い取った。もちろん、当時ピエトロ・フェラーラなど無名の画家だったんだ。だからあんたがね、その自分の姿に重なったんだろう。それで少しあわててしまった。中身を良く確認せずに渡してしまった。二枚入っていたとはな……。いや本当に大失策だった。今更返せと言っても……無理だろう? しかし、世の中には説明できないことなど無数にあるものだ。
そうでしょうがね宗像さん。あんたがエリザベスさんと今ここにいることもさ。それもね、フェラーラの娘である人にだよ。あんたが惹かれたアンナさんの肖像に生き写しのエリザベスさんだ。私だって、こんなことを聞けば鳥肌が立つさ。これほどの偶然があるとはね?」
コジモはまだ極めて重要なことを隠しているのではないかと宗像は疑った。しかし今回はコジモをこれ以上追求できそうもないと判断した。
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商