ホイビン州に入った辺りで急に道幅が狭くなり、行く手には桂林のような尖った山並みが目に入って来た。道路沿いには、それぞれの民族衣装に身を包んだ山岳民族の市場が点々としていた。

幾つもの峠を越え、霧深い尾根道を進み、車は何時間走ったことであろうか。そう、「忽然」とその村が眼下に広がってきた。「忽然」という言葉の持つ意味が実感できたのは、まさにその時であったと思う。

霧が晴れ渡った後、遥か眼下に、満面に水をたたえた田園風景が忽然と姿を現したのであった。

それは、まさに桃源郷と呼ぶに相応しい眺めであった。

車で谷を下り、マイチャウに入る。高床式の大きな住居に案内された。その家の前には、フランスとベトナムの間のディエンビエンフーにおける戦争で、仏空軍が落としたと言われる大きな爆弾の破片が、村の共有の半鐘としてかかっていた。試しにたたいてみると、ゴーンという音が小さな村中に響いた。

高床式の家の中には、機織り機や何と囲炉裏まであり、日本の古い農家を見る思いであった。

同行の後輩にベトナム語の通訳を頼む。ややあって、黒タイ族の人達は、タイ語がわかるらしいと後輩が言うので、試しにタイ語で話しかけてみた。確かに反応がある。ある程度のタイ語は理解できるらしい。 ベトナムの片田舎で、日本人とベトナム人がそれぞれ第三国の言葉であるタイ語を使い、まがりなりにもコミュニケーションを取っている。それは、実に不思議な体験であった。ベトナムでタイ語が通じるなんて思ってもみなかった。タイ語を勉強していて良かったと、言葉を知る有り難さを嚙み締めたことだった。

気が付くと既に昼食の時間であった。後輩の配偶者が差し入れてくれた弁当箱を開けてみると、なんとそこには、海苔の巻かれた美味しそうなおにぎりが入っていたのであった。ベトナムの山奥でおにぎりを食べられるなんて。その有り難さに思わず涙がこぼれ落ちそうになった。

そして、その涙がこぼれ落ちる前に、高床式の家主人が透明な液体の入った瓶を嬉しそうに私たちの前に運んできたのであった。主人から、透明な液体が注がれた小さなグラスを勧められた。

恐る恐る口に運んでみる、強い刺激が舌に刺さる。大変強い酒だ。しかし、喉越しは玉の如し。

その旨さには脱帽であった。

聞くと砂糖黍から作った蒸留酒とのこと。蒸留酒をチビチビやりながらおにぎりを肴にする。

砂糖黍の蒸留酒とおにぎりの何とも素晴らしいハーモニー。

至福とも言える時間はゆっくりと過ぎて行った。インドシナの辺境地という舞台設定。限りなく澄んだ空気。村人達の素朴な人情、そして何よりも自家製の砂糖黍の焼酎のためであったのだと思う。

「かつてこんなに旨いおにぎりを食べたことがあっただろうか?」と思わず自問自答してしまった。
 

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『タイの微笑み、バリの祈り―⼀昔前のバンコク、少し前のバリ― ⽂庫改訂版』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。