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第三章 石和 別れとリハビリテーション

無気力な日が続いていたある夜、母親を思い出した。

十三歳の初冬だった。十二月三日、夜の十時四十八分、時計が十分進んでいたので正確には十時三十八分ということになる。

「克彦起きろ、克彦」

父の声で目を覚ました。

「何、どうしたの」

と問いながらも母の様態が悪くなったことを咄嗟に感じ取った。

母の枕元にいた父から水を持ってくるように言われた。コップから少しの水が母の口元に注がれた。とはいえ殆どが頬を伝っているように見えた。

「逝ったよ」

独り言のように無表情で父は呟いた。呆気なかった。病弱の母が入院するのはたびたびで、意識が薄らぐとその都度もう死んでしまうのかと大泣きをしていた。それなのに全く涙は出なかった。しばらく母を見つめていた父が、おもむろに立ち上がり母の箪笥から衣類を取り出すと、左に右に体を動かしながら着替えさせ始めた。母は動かなかった。

朝八時過ぎ、親戚に電報を打つように言われ郵便局へとペダルを漕いだ。何軒かに同じ文で我が家の出来事を知らせた。帰り道、冷たい空気の中で無性に母に話したくなっていた。

「母ちゃん、俺強く生きるからね。見ててね」

少し恥ずかしかったが、ちゃんと声を出した。何も返ってこなかったが母が聞いてくれているような気がした。

玄関の前で黄色い一輪の菊を見つけた。出かけるときは全く目に入らなかったが、初雪が残っている中で一本だけ凛として伸びていた。よく見ると二枚の葉がそれぞれ半分ほど茶色に枯れていた。菊って強いんだ。

「ただいま」

葬儀が終わって親戚の人たちがそれぞれの家に戻り、残り二家族が次の日に帰るという。

糸魚川いといがわ市の近くの青海に住んでいた家族だ。石灰岩からカーバイドを作る工場が立ち並び、近くに行くと特有の匂いがする街である。海岸がすぐ近くで夏休みにはよく出かけていた。

「賢一さん、明日帰るの」

「うん、そうだなー。我々もいつまでも会社を休んでおられんけんな」

「あのさー、一つ相談があるんだけどいいかな」

「なんだ、克彦。言ってみるといいよ」

「うん、実はね、一年に一回親戚で集まる機会を作れないかな。せっかく親戚の人を母ちゃんが集めてくれたんだから、このまま終わってしまうのがもったいなくて」

前の日から考えていた本音を喋った。