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(3)全体論 部分の和は、全体にならない

個人の英語の語源(分けられない全体的存在としての個人)をたどれば、全体論あっての個人心理学だと言えます。

全体論は、アドラーの人間観(人間の捉え方、見方)の理解を深めるものです。

簡潔に述べれば、アドラーは、「人は、決して部分(要素)に分割できない全体的な存在(自己矛盾のない統一体)である」と捉えています。

アドラーは、心の働きと身体の働きの二つの存在を分ける「心身二元論」の立場をとりません。心と体は、相互作用の関係(心身相関)で、全体としての生命の一部を共に表現したものと考えます。つまり、全体は、要素の和では捉えられません。いくら部分の知識を増やしても人間全体はわかりません。

「自己矛盾のない」とは、要素同士が矛盾している(例えば、意識と無意識、心と体、理性と感情)ように見えても、それらは、人間の内部で矛盾や葛藤を生じないという意味です。お互いに補い合う相補的なものです(図5)。

 

例えば、ある人が他人を怒鳴りつけたとします。要素還元論(二元論)では、理性が感情に負けたと捉えますが、全体論では、ある目的のために理性と感情が動いたと捉えます。部分は全て一体(全体)となって、目的の方向に動き、目的のために使用されます。ここに全体論的目的論が埋め込まれています。

全体論を東洋医学で例えるとわかりやすい

全体論に対立する考え方は、要素還元論や二元論になります。わかりやすく言えば、西洋医学が要素還元論(病気を診断する)で、東洋医学が全体論(人間そのもの全体を診断する)と対比できます。

確かに近代科学は、要素還元論でここまで発展の道を歩んできましたが、人間の問題を要素還元主義で捉えると、ある要素を取り出して原因論的な解説に陥りがちです。