「どう?」

橘子は問いかけたが、紀理子さんはおし黙ったままじっと写真に見入っていた。写真を見て沈黙するのは、(あらかじ)め想像がついていた。和華子さんのあまりの美しさに魅入られずにいない人はいないから。

「ねえ、これ、誰だとおもう?」

続く沈黙に黙っておられなくなって、橘子が尋ねる。

「本当に─」

ずっと息を呑んでいて、いま溜息をもらして(ようや)く息を継げたような感じで紀理子さんから言葉が発された。

「本当に綺麗な方ですね」

もっと感動一杯の言葉をきけるとおもっていたが、あっさりした感想で意外だった。

「でも、眼をつむっていらっしゃって、どうして撮りなおしされなかったのかしら」

「眼をつむって?」

橘子は不意を突かれたようにびくっとした。そして、おもわず写真を引き寄せた。

見ると、本当に和華子さんが眼をつむっている。

そんな記憶はなかった。

それでも、和華子さんは物凄く美しい。言いようがないくらい。この写真はこれで完璧だ。でも、眼を閉じてちゃ勿体ない。普通の人でもそうだけど和華子さんならなおさら。

自分の記憶にある和華子さんは眼がいつもきらきらかがやいていた。当然写真もそのとおり写っていたはず。

美しいひとが美しいまま撮られるのに、眼をつむるはずがない。美しいひとは撮られ方も綺麗だ。

けれども、この写真で和華子さんは眼を閉じておられる。まるでねむっているように、しっかり眼をつむっている。(まばた)きで眼を閉じた(つか)()という感じはしない。まったく静止している。

眼に惹きつけられない分、この写真は和華子さんの顔だちの本当の美しさをあらわしている。美そのものであり、誰もかないようがない。でも、眼をあけておられたら、美以上の美がかがやく。その極限の美、神秘の美がこの写真に写っていたはず。

「橘子さん」

「あ、御免なさい」

呼びかけられて、橘子はふとわれにかえった。

「私も今見て、びっくりした。どうしてだろう。私にもわからない」

橘子はまだ混乱していた。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『相生 上 』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。