利息を足すと総額十一億円にもなる。当時はバブルの真っ最中なので、銀行はいくらでも貸してくれた。社長就任から二十五年経って初めての大きな投資である。

投資額が大きいだけに迷っていたが、支店長に「利息さえ支払っていれば返済は二十年先で良いから」と言われて決断した。金融緩和で金余りになり、銀行の資金は土地、建物、株、財テクなどに投資されて天井知らずの値上がりが続いた。

誰もがこの景気は続くと思っていた。当時は経済学者でさえその後のバブル崩壊を予見していなかった。私としては、銀行の応援もあって当然、戸越ビルのテナント、千鳥町のビルと等々力のアパートの家賃で上野ビルディングの借入金を返済できると考えていた。

一階、二階、屋上を上野食品に賃貸していたので、毎月二百万円近い家賃が上野ビルディングに入って来た。上野食品が一番の大口得意先というわけである。

上野食品は新しく綺麗なビルに引っ越したのは良かったものの、その分、上野ビルディングに高額の家賃を払わなければならなかった。また、上野ビルディングも上野食品の大口の家賃を当てにして銀行に利息を支払っていた。

両社は相関関係になっていたのである。そのような情勢の中で、上野食品の業績は歯止めが掛からず下がり続けていった。ラジオ宣伝を中止し、経費の削減を徹底的に行って何とか急場を凌いだ。

その他いろいろ手を尽くしたが、なかなか業績は向上しない。遂に上野食品は資金繰りに困り、上野ビルディングに支払う家賃をストップせざるを得なくなった。

そして、上野食品は創業以来、初めての赤字となった。それまでの三十年間、銀行に赤字決算書を出したことはなかった。赤字決算でも今までの実績から銀行は大目に見てくれるだろうと考えていた。後になって思い知ったが、この甘えは大きな間違いであった。

上野食品から家賃が入らなくなったので、上野ビルディングの資金繰りがおかしくなってきた。毎日毎日、当座預金が不足し、銀行に催促されて慌てて銀行に行っては入金を繰り返していた。

それも、残り少ない私の預金を下ろして会社に貸す形で立て替えていたのだ。しかし、自分の金はビルを建てる時に上野ビルディングに貸しているので限界に近づいていた。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『復活経営 起業して50年 諦めないから今がある』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。