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海外での仕事を志したきっかけ

哲理の国インドでの生活も13年目に入りました。今では、インドの哲人、高橋と呼ばれています。皆さんも在住10年を越えると、哲人になれるかもしれません。

そもそも、私が海外での仕事を志したのは、中学生の時に読んだ、漢の時代の定遠侯・班超の事歴を読んでからでした。班超は文筆家の班一族の出身で、自らも40代まで文書を扱う家業に携わりました。ご母堂が亡くなるや、秘めた志を果たさんと文官から武官に転身し、現在のタクラマカン砂漠の地域にまで遠征し武功をなす物語です。

今考えてみると、ウイグルの皆さんはたまったものでは、なかったのでしょうが、当時は私も子供で、そこまでの想像力がなかったことを反省するものです。

そうした動機で、外国語を勉強しようと考え、高校1年の夏休みに世界地図を広げて、どの国の言葉にしようかと考えました。欧米言語は多くの人が学んで付加価値がないので除き、イスラム教国は文化や宗教が理解できないから除き、社会主義国家は外国人が仕事できないから除き、と見ていたら、唯一東南アジアに植民地化されていない国、タイがありました。その時にタイ語を勉強すると決めたのでした。周りからは変人に見られたようですが、本人は至って健全な行動をとったと思っています。

会社に就職して3年目、タイに1年半研修留学する機会を得ました。

30年前のタイは、今の繁栄とは程遠く、日本人もあまりいませんでした。私は、日本人の誰もいないバンコクの王宮近くの官僚一族の家にホームステイさせてもらいました。当然、日本食はなく、エアコンもなく、給湯器などもない生活で、移動手段は、徒歩、バス、船、タクシーをフル活用しました。学校までは、バスで2時間。現在のバンコクにはBTS(高架鉄道)もあって移動が楽になりましたが、バンコクの渋滞は大変なものでした。海外での不便な生活には、この時から免疫ができました。

タイ国の教員資格をとって日本に帰国。その後、タイの工場に赴任、日本にもどって少しすると今度はインドということで、社会人生活30年余りのうち20年以上を海外で生活しています。そうした経歴もあって変人と見られることもありますが、本人は至って正常だと思っています。