次に肋骨を観察する。よく聞く名前だが、肋硬骨、肋軟骨とに分かれる事は知らなかった。

また、左右12本ずつあることは、骨学で習った。そのうち、1から7までは胸骨まで届いて接合するが、8番以下は届かないで、途中で遊離している。自分の前胸部から側腹部にかけて、その遊離端を触れる事ができるが、先端が肋軟骨でつながっているので、棒の先を触るようなはっきりした感触ではない。これらのテキストによる説明を、実際に目の前の骨で確かめる。肋軟骨は、保存遺体では濃い飴色をしているのだろうか、固めたにかわのようなものだろうかと予想したが、実際は膜に覆われて、まだよく分からなかった。

元来、自分はそれまで予習はしないたちで、復習タイプの学習法だったが、この解剖学実習に関しては予習してないと、分からずに終わる部分があり、そうすると復習の仕様がないのだった。その点、他の三人はどうかというと、田上、高久は不明だが、高尾は間違い無く予習している。それで、彼を頼りに、教えてもらうのだが、彼も機嫌のいい時ばかりではないし、彼にもわからない事は多々あるのだった。よく他班へ、出張って情報を仕入れてくるのは、誰が決めた訳でもないが、高久だった。

ひょうきんな高久は、教えてやらないよーとふざけたり、冗談言いながら田上とよいペアだった。一方僕と高尾はというと、不勉強な僕に、半ば呆れながらも、何か互いに通じ合うものを感じていた。少なくとも、僕の方はそう思っていた。同じ班とはいえ、僕は田上と高久たちのことは良くわからなかった。彼等の会話には、ついてゆけなかった。しかし、何か同志というような連帯感も心のどこかにあり、一方で互いに見下したごう慢さも同時に持ち合わせている。それが医学部生たちだ。

つづいて、胸骨を調べる。医学部に入るまで、こんな骨があるなんて知らなかった。しかも、ちょっと伏し目になると自分の身体でも前胸部あたりの皮膚の下に存在がわかる。

見方によっては、逆立ちした平べったいコケシのような形をしている。一般には、柄杓ひしゃくの形にたとえられ、胸骨柄と胸骨体に分かれる。この胸骨体は、骨髄を採取する時に、良く使われるらしい。それは、皮膚に近く、大きな血管や神経が皮下に存在しない、老年まで造血機能を持っているためだという。

我々はここで、休息を入れた。高久は売店へ行くと言っていた。田上と高尾は更衣室で実習書を読むらしい。僕はトイレへ行った後、少し散歩しているとき、ふと建物と建物の間の目立たないもの影から、人の声がするような気がした。注意してみると、生化学の宮本助教授と紫藤が深刻な様子で、ひそひそ話しているのが、目に入った。僕は大急ぎで、何も見なかったと思い込みながら、その場を離れた。

解剖室に戻ってみると、三人がやや興奮気味に何事か話し込んでいる。なんでも、明らかに将来の大物になりそうな美人女優が26歳で白血病で亡くなったと報道されたらしい。

しかも、同じ日にアイドル歌手が恋愛のもつれから、飛び下り自殺したニュースも流れたらしい。それを売店のテレビで見た高久が、道路にくだけた脳が散乱していたと興奮して喋っている。頭から落ちたのだろうか。

あの歌手好きだったのにな、高久がさかんに繰り返していた。

解剖の手を休めることなくちゃんと進めながら。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『正統解剖』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。