その日を境に眠れない夜を過ごすようになった。来る日も来る日も消灯の時間が来ると、見通せない将来に言い表せない不安と絶望を感じた。恐らくそうであろうこのままの動かない体の自分で、この先二十年三十年の永い間、何をして生きてゆけばいいのだろう、何を生きがいに生きてゆくことができるのだろう。

一生歩けないんだ。一生、という言葉の重みが全てを再起不能にしているようにも思われた。涙は流れても流れても熱く、両耳まで達した。拭き取りたくて腕を伸ばそうと試みたが当然のように届くはずはなかった。悔しさと切なさがさらなる涙を誘った。音も光もなく、何も感じなくていい遠いところへ行きたいと思った。楽になりたかった。

あのとき違った決断をしていたら、どのような道を歩いていたか。

大学一年生の授業も試合も全て終わり、短い春休みにJ大学に進学した久保田先輩を訪ねた。ジャンプとクロスカントリーからなるノルディック複合にどうしても挑戦してみたかったからである。

「お前まともじゃないよ。ジャンプは小学校、中学校からが普通で、遅くとも高校一年生のときにはもう始めている選手が殆どだよ」

「分かってるんですけど、なんとしても飛びたいんですよ」

「いつからそんなこと思い始めたんだ」

「秋田での合宿でジャンプ陣と一緒になったとき、彼らの飛ぶ姿を見て怖そうだったけどやってみたい気持ちが湧き上がってきたんです。練習の後、長距離用のスキーでランディング・バーンを滑ったとき、あまりのスピードにぶるぶるするような怖さと、それ以上の快感を覚えたんです。それ以来、頭から離れなくて」

「気持ちは分かるような気がするけど俺は反対だな。死んでしまうぞ」

「そうなったらそうなったときです。だけど僕はめったには死にませんから」

「伊庭、お前、W大学に行きたかったんじゃなかったのか」

「はい。教育学部の体育学科です」

「W大学から勧誘に行ったって聞いたぞ」

「インターハイが終わった後、キャプテンとマネージャーが来てくれて、その話を聞いたとき天にも昇る嬉しさだったんですけど、スキーをやるには教育学部ではなく社会科学部に入り、勉強は夜間になるとのことでした。どうしても体育教師になりたかったので何日後かに断りました」

「そうか、もったいなかったなー。インターハイも国体も三年間行けて全日本では三位か四位だったよな、確か」

「はい、二年生の札幌の全日本で四位でした」

「W大学だったらレベルの高い練習ができるとは思うけど、とにかくよく考えてみろよ。まともな考えじゃないと思うよ、俺は」

「はい、分かりました」

先輩のアパートを出てしばらく歩いたときには、心は決まっていた。

あのとき、久保田さんの言うことをもっと深く考えていたら、今の自分はなかったかも。  

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『季節の向こうに未知が見える』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。